戦艦「大和」に傷病者が殺到したワケ 海自護衛艦「いずも」と「大和」の意外な共通点
「大和」には数少ない歯科医官も乗艦
戦艦「大和」の前に建造された戦艦「長門」は、太平洋戦争前には連合艦隊旗艦を務めるほど、戦前における旧日本海軍のシンボル的存在であり、比較的医務室も充実していたものの、それでも医務科は軍医3人、衛生兵10人程度の規模でした。「大和」と比べると約3分の1です。
しかも「大和」は、規模だけでなく質も「長門」とは段違いでした。長門型戦艦の建造から約20年の開きがあったため、最新式の医療機器も搭載されています。具体的には、エックス線暗室(レントゲン室)や細菌検知室が設けられ、士官病室には隣接した専用の浴室とトイレがありました。
また「大和」には、歯科医官が乗り込んでいたのも特徴でした。歯科医は1941(昭和16)年に「歯科医科士官」制度ができるまで、旧日本海軍では必要に応じて、民間の歯科医を嘱託として乗艦させていました。軍医に比べて絶対数は少なく、そのため特に太平洋戦争開戦後は不足し、艦隊司令部付きとして戦艦や空母などの主要艦にしか乗艦勤務させられませんでした。よって「大和」は、歯科医が常時乗り込んでいた数少ない軍艦だったというわけです。
充実した医療設備と、数少ない歯科医が乗り込む艦として、広く将兵に知られていた「大和」は、太平洋戦争中、たとえば南方の港や泊地に入ると、診療を目的にほかの艦艇や陸上部隊などから患者が集まってきたといいます。
人口そのものが違うし、運用、運行の状況、”医療”に対する考え方も時代のよって違う。
一概に比較してもねぇ。