「大垣夜行」を知っているか?「ムーンライトながら」前身 直角シート 駅で長時間待ち
185系時代は余裕を持って米原行きに乗り継ぎ
ムーンライトながらに373系電車が使用されていた頃、早朝の東京発静岡行き普通列車はムーンライトながらの折り返し車両でした。特急車両を使った快適な普通列車です。これを狙って早起きして旅立ったことも何度かあります。ムーンライトながらが189系電車になったあとも、しばらく373系電車の静岡行き普通列車は残りました。夜に東京にやってきて、朝まで田町の留置線で待機していたのでしょうか。
臨時列車となったムーンライトながらは、人気があるにもかかわらず運行日数をどんどん減らしていきました。旅立つ日の直前に指定券を買えない列車となり、座席の夜行がツライ歳になったこともあって、筆者はまたムーンライトながらから遠ざかってしまいました。当時ムーンライトながらは大垣駅到着が5時50分。これに接続する米原行きは5時53分に発車します。大垣駅では、乗り継ぎ客が走って大移動する「大垣ダッシュ」が見られました。
しかし今年(2019年)、友人からの誘いで8年ぶりにムーンライトながらに乗りました。車両は185系電車です。設備の古さは否めませんが、リクライニングシート、テーブル付きの椅子に駅弁を並べると、若い頃の旅を思い出し、肉体的にも若さを取り戻したような気分になりました。大垣着が5分早まったため、余裕をもって米原行きに乗り継げます。車両編成も長いので座れました。プラットホームを走る人はいましたが、往年のような「大垣ダッシュ」も過去のものとなったようです。
2ドアと最終間際の混雑で乗降に手間取って延着してたのを思い出すな~
これに先立って出発する臨時列車も華やかでナハネ20の臨時あさかぜ、EF58牽引の客車座席指定の臨時銀河やら
私は大垣行から乗り継いで尾道まで行ったが大半が湘南色の115系やら113系で瀬戸内際を走る湘南電車が異次元空間に思えたものだったな~
グリーン車の無い短編成や東京では去りつつあった大型ライトの113系とかね
最初に大垣夜行に乗ったのは中3の一人旅の時だったから70年代ですが、単に東京〜(目的地の)名古屋まで「乗換なし」乗車運賃3500円のみで行ける列車というだけで選んだもので特に大垣夜行とかを意識していたわけじゃなかった気がします。
普通に東京駅へ行ってホームの列に並んで…すごく混んでて座れなかったけれど・・・
座席あぶれ組数人でデッキに新聞紙を敷いて向かい合わせで足伸ばして座って名古屋まで移動した思い出があります。自分はその中での最年少でしたが、周りの大人たちは妙に旅慣れた方々だなって思いました。
大垣夜行は大人になって出張時にも何度か利用しましたが165系の記憶しかありません。
その後の大垣夜行と言うか、ながらは乗っていないなあ。
大垣夜行時代小田原までの終電1本前、小田原から熱海三島への終電で、飲んだ帰りによく乗りました。
寝過ごさないようにデッキで立っていましたが、一度座り込んで小田原の発車ブザーで目が覚め事なきを得ました。
…うちの先輩は寝過ごし愛知県まで流されたと聞きました。
数回しか乗ってないけど、
165系時代が懐かしい。
なんでか覚えてるのが、
ある時の品川駅。
なかなか発車しないと思ったら窓ガラスが割れたとかで。
どう対処したのか解らないけど、
そのまま走っていった記憶が。
その大垣夜行も全席指定と引っ越した関係で、
185系になってからは一度も乗ったことないですが…
今のダイヤだと時間と金の無駄が。
端から数千円出して新幹線になってしまいました。
165系大垣行き=普通運賃で乗れる急行型
115系かいじ=急行券が必要な近郊型
フツーに残業やら飲み会で遅くなった時に東京駅から乗ってました。
最初にこの電車に乗った時には普段の通勤列車と異なる雰囲気に、
銀河鉄道に紛れ込んだかのような錯覚を覚えて、本当にこれ乗って
大丈夫か?と不安にかられたのを思い出す。
一度は、ボックス席を占拠していた〇〇〇っぽい連中がツェェ自慢
しながらワンカップと冷ややっこで酒盛りしはじめたのには参った。
車掌も注意できず。
この列車に最後に乗ったのは就職で名古屋勤務になってから関東へ
リクルートで来て帰りの新幹線に乗れなかった時。
大垣行き乗れば朝までには名古屋に戻れる・・・ってな理由で本当
に夜行をフル活用したのが最後だった。
岐阜の人間です。大垣夜行に乗ってみたいと思いつつ、なかなか東京に行く機会がなかったのですが、友人の結婚式や出張で使う機会を得、ムーンライトながら(373系)はよく使いました。
岐阜駅発23:35でしたが、たまに静岡まで立って行ったこともあります。しんどかったですね。でも座席はとても快適でしたので、ありがたかったです。
夜行といえば、大阪発長野行き急行ちくまもよく利用しました。もう今はありませんが、夜明け前の塩尻駅で新宿からの急行アルプスと並んでの停車は賑やかっだのを覚えています。
大垣夜行は学生時代に「京阪神ミニ周遊券」や「東京ミニ周遊券」を使い何度も利用した。
長距離の普通列車なので学生ながら奮発してグリーン車を利用していた。
その後にだいぶ経過してから、ムーンライトながらになって初めて乗車した時、
小田原からの自由席車両だったので、通路も大混雑でトイレにも行けなかったのを思い出す。
現在は全区間指定席なので、あれ程には混雑しないと思うが、腰を悪くしたので利用することも無いだろうなぁ。
大垣夜行は高校生の時、四国乗り鉄旅で往復乗りました。往復G車で。
入線2時間前に東京駅に行きましたが、すでに先客が居ました。
上り便は豊橋から乗りましたがガラガラでした。
ながら(373系)は2007年に一度きりしか乗っていません。
もうオッサンの自分が「ながら」のユーザー層では無いと悟りました。
今の岩石リクライニングシートの電車より、昔のふわふわ直角シートのほうがまだ腰が痛くならなかった気がする。
同感。
中学、高校の春と夏休みに165系時代の375Mをよく利用して関西方面に友達と撮影旅行した記憶が懐かしい。
当方、川崎に住んでた時、帰省で東京朝6時発の東北新幹線盛岡行に乗るために、川崎駅から乗った事あるが、当然座る事できなかった。今思えば、「大垣夜行」から、東京駅で、東北・上越新幹線の始発を利用した人もいたかもしれないと思った。
大垣夜行と言えば、やはり165系。僕が知っているのは急行東海の折り返し運用で、当時はグリーン車が
2輛連結されていました。夜行列車に乗るのも数時間前から並ぶのは当たり前。今では考えられない楽しみが
ありました。懐かしいなぁ~
80年代後半、自転車のツーリングサークルに所属していた大学時代に東海や中部地方に輪行して行く際に使ってました。 自分達は発車時刻の2325(ニーサンニーゴー)と呼んでいた気がします。 (「大垣夜行」と一般的に呼ばれるようになったのはその後かも?) 同様に新宿23:55発長野行の夜行の普通列車もあり、こちらの方が良く利用していました。 こちらもやはり出発時刻の2355(ニーサンゴーゴー)と呼んでおりアルプス広場で仲間と待ち合わせしていました。 こちらは山屋さん(登山客)が多く、我々も山屋さんも荷物が多いので帰宅で利用する方々にはさぞかしご迷惑だった事と思います。 ってっ単なるオッサンの想い出話になってしまいましたね! すみません。
いつも、下りは小田原から、上りは三島からホームレスが乗り込んで来て、特に冬場は大量に。
走るスラム街なのは不快だった。
もちろん、無賃乗車。
けど、車掌は見て見ぬ振り。
ホームレス・ライナーと揶揄されてた。
大阪夜行から短縮された43-10から57-11までは153系でした。また、誕生直後は「美濃赤坂夜行」でした。
ああ,なつかしいですね.コロナで移動もままならない中ですが,
18きっぷ片手に日本中を旅していた学生時代を思い出してしまいました.
165系電車は国鉄時代の代表ですね!
大垣夜行どころかC-62牽引の大阪行き最終137列車の時代を知っているよ。