飛行機だが空中停止OK ムッソリーニ救出にも出撃 Fi156「シュトルヒ」の理論とは?

スピード激遅 それでも重宝された理由

 Fi156が世に出る端緒になったのは、1935(昭和10)年にドイツ航空省が出した、空軍向けの新型連絡機の開発要求でした。

 ドイツ航空省の要求は、飛行場が整備されていない前線で使用する軽量な偵察観測機で、優れた短距離離着陸性能と、全周にわたる良好な視界、そして操縦士(パイロット)以外に2名収容可能というものでした。

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Fi156「シュトルヒ」の機首部のアップ。操縦席のガラス部分が左右に大きく張り出しているのがわかる。これで良好な視界を確保していた(画像:フィンランド国防省)。

 各社はこの要求に応えられる試作機を開発しましたが、そのなかで最も優れていたのがフィーゼラー社の機体で、とくに短距離離着陸性能が優れていました。その結果、同社の機体が採用され、「Fi156」と命名されるとただちに量産が始まりました。

 1937(昭和12)年にはドイツ空軍に配備され、前線部隊での運用が始まりました。具体的には、ドイツ陸軍の師団司令部に空軍のFi156が1機から2機ずつ出向する形で、これにより、陸軍は師団長や師団司令部レベルで空から偵察できるようになりました。また、それ以外にも数百kmの距離を短時間で行き来することが可能になったことで、命令書の迅速な送付や、高級幹部の前線と後方の速やかな往復ができるようになりました。

 こうして、北は極寒のソ連内陸部やフィンランドから、南は北アフリカの砂漠地帯まで、様々な地でFi156は運用され、時には偵察や連絡飛行だけでなく、物資輸送や傷病兵の後送にも用いられました。

 そのなかでFi156が、その飛行特性を最大限発揮した任務といえるのが、1943(昭和18)年9月12日に実施されたムッソリーニ救出作戦でしょう。

【写真】「シュトルヒ」よりも優秀だった? 日本が作った似た性格の三式指揮連絡機

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