飛行機だが空中停止OK ムッソリーニ救出にも出撃 Fi156「シュトルヒ」の理論とは?

ヘリ代わりでFi156投入 ムッソリーニ救出作戦

 第2次世界大戦中、イタリアの指導者であったベニト・ムッソリーニは、1943年7月24日にクーデターで失脚すると、8月末にイタリア半島中部のグラン・サッソ山中にあるホテルに幽閉されました。

Large 200117 fi156 03

拡大画像

ムッソリーニ救出作戦でグラン・サッソの山の中腹に着陸したFi156「シュトルヒ」。この後、ムッソリーニを載せて飛び立った(画像:ドイツ公文書館)。

 イタリアと同盟関係にあったドイツのヒトラーは、ムッソリーニが失脚した直後から保護を計画しており、ナチスの武装親衛隊を用いて彼を救出しようと動いていました。しかし、上述のホテルは山の中腹にあたる標高2000mの位置にあり、陸路で向かうにはふもとから伸びる一本道をひたすら上っていくしかなく、秘密裏に作戦を遂行するために空からの進入が計画されます。

 そこで白羽の矢が立ったのがFi156でした。当初は世界初の量産ヘリコプターFa223が使用される予定でしたが、同機が壊れたために短距離で離着陸可能なFi156が急きょ代わりに投入され、山腹の狭い空き地に30m程度で着陸。復路はムッソリーニを載せ、重量オーバーながらもわずか75m弱の距離で離陸し、無傷での救出に成功しました。

 なお、実はFi156は日本の空も飛んでいます。太平洋戦争開戦前の1940(昭和15)年、旧日本陸軍は、最前線で連絡や偵察、弾着観測、軽輸送など各種任務に用いるための多用途機を導入することを計画し、性能テストのために輸入していたFi156と国産の新造機を比較しました。

 Fi156が性能的に優れていればライセンス生産する予定でしたが、国産の新造機が上回る性能を発揮したため、日の丸を付けたFi156はそれ以上増えることはありませんでした。一方、Fi156を上回る性能を出した国産機は、その後「三式指揮連絡機」として制式化されましたが、当初の任務では用いられずに、日本沿岸の対潜哨戒任務に用いられ、一部の機体は各種空母に載せられて船団護衛に従事しています。

 ちなみに、Fi156には「シュトルヒ」という名称がつけられていますが、これはドイツ語で「コウノトリ」という意味です。

【了】

【写真】「シュトルヒ」よりも優秀だった? 日本が作った似た性格の三式指揮連絡機

Writer: 柘植優介(乗りものライター)

子供のころから乗り物全般が好きで、車やバイクはもちろんのこと、鉄道や船、飛行機、はたまたロケットにいたるまですべてを愛す。とうぜんミリタリーも大好き。一時は自転車やランニングシューズにもはまっていた。

最新記事

コメント

このサイトはreCAPTCHAによって保護されており、Googleのプライバシーポリシー利用規約が適用されます。