「零戦」の誕生に貢献した外国技術5選 外観に影響を与えたもの 強さの源になったもの
高性能を発揮するための引き込み脚にも
零戦の高速化に貢献した引き込み脚ですが、これも日本は独自開発できませんでした。
引き込み脚
日本製の航空機で初めて引き込み脚を採用したのは、三菱の九六式陸上攻撃機です。ただし構造的には部分引き込みで、エンジンカウルの下部にある開口部に入れるだけで、扉や覆いなどはなく、車輪も下半分は出っ張ったままでした。
旧日本海軍の戦闘機で初めて引き込み脚を採用したのが零戦です。零戦のものは扉や覆いが付き、そのぶん合わせ目などに高度な技術が要求されます。そこで参考にされたのが、アメリカのチャンス・ヴォート製V-143戦闘機でした。
V-143は、1937(昭和12)年に旧日本陸軍が研究用として輸入したものです。機体の調査には、海軍や三菱など多くの航空技術者が立ち会いました。このとき得られた知見が、のちに零戦の引き込み脚を設計する際の参考にされたようです。
それでも、初期の零戦は油圧構造に問題があり、脚が引き込まないというトラブルがよくありました。
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このほかにもエンジンについては、量産型では中島製の「栄」が、試作機では三菱製の「瑞星」や「金星」が搭載されましたが、前者はアメリカのライト(シリンダーや潤滑系)やイギリスのブリストル(ピストン形状)製エンジンを参考にしており、後者は三菱自身がプラット&ホイットニー製R1690をライセンス生産した「明星」の技術が用いられているため、エンジンについても技術的な影響が大きかったといえるでしょう。
ここに挙げた5つの装備やエンジンなどは、高い基礎工業力や優れた工作精度が求められる部位です。零戦は日本が独自に開発した戦闘機ですが、重要な装備品は外国技術に頼らざるを得なかったといえるでしょう。
【了】
Writer: 柘植優介(乗りものライター)
子供のころから乗り物全般が好きで、車やバイクはもちろんのこと、鉄道や船、飛行機、はたまたロケットにいたるまですべてを愛す。とうぜんミリタリーも大好き。一時は自転車やランニングシューズにもはまっていた。
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