空自のその後を左右した? 練習機「バンパイア」 初の国産ジェット機開発前夜を飛ぶ

航空自衛隊初の双胴機

「バンパイア・トレーナー」の原型である「バンパイア」戦闘機は、第2次世界大戦中の1943(昭和18)年9月20日に初飛行し、大戦終結直後の1946(昭和21)年から運用が始まった初期のジェット戦闘機です。

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「バンパイア・トレーナー」の後方。同機は第2次世界大戦直後の西側製ジェット練習機としては、アメリカ製のT-33Aに次ぐ生産数を誇る(柘植優介撮影)。

「バンパイア」戦闘機はひとり乗りのいわゆる単座機でしたが、「バンパイア・トレーナー」は練習機として並列複座のふたり乗りに改造され、それにともない胴体も幅広になっていました。

 航空自衛隊としては、直列複座(タンデム)のT-28「トロージャン」と、並列複座(サイドバイサイド)の「バンパイア・トレーナー」を比較することで、練習機としてどちらのシート配置の方が適しているか見極めようと考えていたようです。

 シート配置は、直列複座は訓練生が単座の操縦感覚を早く確立できるといわれます。一方、並列複座は教官によるきめ細かい指導がダイレクトにでき、なおかつ教官の前方視界が良いというメリットがあります。双方にメリットとデメリットがあるため、実機を用いて比較したのですが、その結果、航空自衛隊は直列複座の方が練習機には適していると判断し、国産開発のジェット練習機は直列複座に決まりました。

 また、機内搭載の各種装備品もアメリカ製のものとイギリス製のものを比べた結果、アメリカ製の方が優れていると判断され、アメリカ製のライセンス生産、もしくはそれを基にした国産開発と決まります。

 この比較試験の結果も盛り込まれ、国産初の量産型ジェット機であるT-1練習機は1958(昭和33)年1月19日に初飛行に成功、1960(昭和35)年8月から運用を開始しました。

 一方、これと入れ替わるかのように、「バンパイア・トレーナー」も同年をもって用途廃止になり、しばらく教材機として使われたのち保存機になり、現在は静岡県浜松市にある航空自衛隊浜松広報館において展示機として余生を過ごしています。

【了】

【写真】「バンパイア・トレーナー」と比較されたもうひとつの外国製練習機

Writer: 柘植優介(乗りものライター)

子供のころから乗り物全般が好きで、車やバイクはもちろんのこと、鉄道や船、飛行機、はたまたロケットにいたるまですべてを愛す。とうぜんミリタリーも大好き。一時は自転車やランニングシューズにもはまっていた。

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