多数の車輪で不整地もOK! 愛称「ムカデ」の輸送機 Ar.232が幻の傑作機になったワケ

続くAr.232の受難 生産を後回しにされて傑作機になれず

 改めてエンジン4発機として開発されたAR.232Bは、それでも1942(昭和17)年6月に初飛行しますが、このあとも受難が続きます。戦略物資であるアルミを、支援機である輸送機に回す必要性が問題視され、機体の一部を木製にした改良型の開発が命じられたのです。

 さらに航空機生産自体も戦闘機や爆撃機が優先され、輸送機であるAr.232は後回しにされました。

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エンジン2発のAr.232A輸送機。

 結局、Ar.232はA型とB型合わせて20機しか完成せず、それらも前線に送られることなくドイツ国内で用いられました。そのため、Ar.232は前述したような先進的な構造を持っていたにも関わらず、そのメリットを生かす場面がほとんどないまま終戦を迎えました。

 いかに高性能な機体であったとしても、生まれるタイミングとその後の周辺環境に恵まれないと、能力を十分に発揮できないまま終わってしまう、Ar.232はそのひとつの例といえるのではないでしょうか。

【了】

【写真】飛行機の心臓であるエンジン数を変えたAr.232B

Writer: 柘植優介(乗りものライター)

子供のころから乗り物全般が好きで、車やバイクはもちろんのこと、鉄道や船、飛行機、はたまたロケットにいたるまですべてを愛す。とうぜんミリタリーも大好き。一時は自転車やランニングシューズにもはまっていた。

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