地味にスゴい空母「蒼龍」の大貢献 日本空母の「標準型」はいかに完成へ至ったのか?
完成度高い「蒼龍」のそれでもあった「艦橋」と「足の長さ」問題
大きさの割に艦載機数も多く、用兵側も扱いやすいと評価した「蒼龍」でしたが、問題も残っていました。
なかでも艦橋の形状や配置は空母設計の課題であり、姉妹艦でも「蒼龍」と「飛龍」では大きく異なっています。「蒼龍」の艦橋は右舷前方に最小限の大きさで設置されたのですが、駆逐艦と同程度の大きさしかなく使い勝手が悪く、指揮の取りにくさからか、ハワイ作戦(真珠湾攻撃)の際、第二航空戦隊旗艦の任を「飛龍」に譲っています。
「飛龍」は艦橋を左舷に設け、「蒼龍」と簡単に見分けることができますが、艦載する単発エンジンのプロペラ機は、エンジンの回転方向=プロペラの回転方向によるトルクの関係などから左右いずれかに流れやすい特性があり、当時の日本機の場合は進行方向左に流れやすく、よって左舷艦橋は障害となり評判は悪かったようです。ちなみに日本空母で左舷艦橋なのは「飛龍」と「赤城」だけです。
足が短いのも玉に瑕でした。「加賀」「翔鶴」は1万海里の航続距離がありましたが「蒼龍」は7000海里しかなく、戦闘速力で1日突っ走ると燃料タンクは空になってしまったといわれます。アメリカ海軍を日本近海で迎え撃つ漸減邀撃作戦構想の影響から、長い航続距離は要求されなかったのです。長駆となったハワイ作戦では山口司令官のごり押しで、燃料過積載で無理やり参加しましたが、大事故につながる危険な行為で、褒められたものではありません。
運命のミッドウェー海戦で「蒼龍」は、爆弾3発を被弾し約10分後には航行不能、約15分後には総員退艦が発令されています。中型空母構想の爆撃リスク分散の被害を、図らずも引き受けてしまう皮肉でした。脆弱性とともに、被害を受けることを想定しながらそれに対するダメージコントロール能力の欠如も露呈させ、遅ればせながら本格的に対策に取り組む契機にもなっています。
その後、日本海軍は「蒼龍」「飛龍」の基本設計を基に、中型空母の量産を計画します。しかし、これに基づき建造された「雲龍」「天城」「葛城」が完成するころには、搭載すべき航空部隊も払底し、目立った働きができぬまま敗戦を迎えています。
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Writer: 月刊PANZER編集部
1975(昭和50)年に創刊した、40年以上の実績を誇る老舗軍事雑誌(http://www.argo-ec.com/)。戦車雑誌として各種戦闘車両の写真・情報ストックを所有し様々な報道機関への提供も行っている。また陸にこだわらず陸海空のあらゆるミリタリー系の資料提供、監修も行っており、玩具やTVアニメ、ゲームなど幅広い分野で実績あり。
日本の少なくとも空母設計は完全にアメリカやイギリスに劣っていた