ポルシェ博士と「軍用車」 奇抜すぎることで知られる戦車の一方で本職のクルマは…?

水陸両用車なども開発するがその活躍が災いして……

 ポルシェ博士も前記したように軍用車開発に携わり、1941(昭和16)年には、四輪駆動バージョンのキューベルワーゲンに当たる「Typ 87」を開発しました。そして、大戦中に最も多く生産された軍用水陸両用車「シュビムワーゲン」などを開発し、1942(昭和17)年春頃から各戦線に配備されるようになります。戦車に関しては、同じ時期にいわゆる「ポルシェティーガー」なども開発していますが、試作止まりで、車体を流用した「エレファント重駆逐戦車」が少数ですが実戦投入されました。

 あまり知られていませんが、実はポルシェ博士は、ポルシェ製「ティーガーII」にもハイブリッド駆動方式を採用する計画だったそうで、とはいえさすがに戦局も悪化しているということで却下となりました。なお、「ティーガーII」の大多数を生産したのはヘンシェル社ですが、若干デザインの違う、曲線の強い砲塔を装備したポルシェ製の「ティーガーII」も50両ほど生産されています。しかし、砲塔自体はクルップ社開発のものでした。

 戦車では、あまり成功とはいえなかったポルシェ博士の設計思想ですが、戦後の軍用車、乗用車には大きな影響を与えます。戦後の東ドイツの軍用「トラバント」、西ドイツのDKW「ムンガ」は、戦後の各国の軍用車がジープっぽいデザインになるなか、「キューベルワーゲン」の影響を色濃く受けています。

 また、止まっていた大衆車の量産も、戦後すぐにイギリスの協力を得て、ヴォルフスブルク市と名を変えたKdFワーゲン市が、「フォルクスワーゲン」の量産に乗り出します。

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1948年に撮影されたポルシェ356の試作2号車(画像:ポルシェ)。

 しかしポルシェ博士はというと、戦後まもなく、連合軍に戦中のドイツに多大な貢献をしたとして拘束されます。そのときはすぐに開放されますが、今度は1945(昭和20)年12月、「戦争中にフランス国民を搾取した」という濡れ衣を着せられ、同年12月から1年7か月もの期間、投獄されるなど、晩年は苦労の連続でした。

 1947(昭和22)年8月に戦犯の疑いが晴れて釈放され、そして同年9月に、息子のフェリー・ポルシェにより、ようやくポルシェ社として初の量産車、「ポルシェ356」の生産が開始されます。

【了】

【写真】19世紀のハイブリッド車 「ローナーポルシェ」

Writer: 斎藤雅道(ライター/編集者)

ミリタリー、芸能、グルメ、自動車、歴史、映画、テレビ、健康ネタなどなど、女性向けコスメ以外は基本やるなんでも屋ライター。一応、得意分野はホビー、アニメ、ゲームなどのサブカルネタ。

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