歴史の記事一覧
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東海道線「電化」100年 でも「電車」が走ったのは25年後!? 夢のまた夢だった電車
東海道線東京~国府津間と横須賀線は、100年前に電化されました。当時、東海道線のような主要な路線では蒸気機関車による運転が主流でしたが、この区間の電化から電気機関車による運転が本格化したのです。
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戦艦の“神話”を打ち砕いた事件──先代「プリンス・オブ・ウェールズ」を沈めた日本海軍の衝撃
イギリス海軍の空母「プリンス・オブ・ウェールズ」は、「オペレーション・ハイマスト」と名付けられた長期展開の一環として、2025年9月頃まで横須賀に寄港しています。同艦と同じ艦名を持つ先代の「プリンス・オブ・ウェールズ」は、80年以上前の第二次世界大戦中に建造された最新鋭の戦艦の一つでした。そして1941年12月10日、この艦を巡り、当時敵対していた日本との間で、世界史的にも重大な出来事が発生しました。
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「なんて艦なんだ…」日本敗戦後 米海軍の前に現れた異形の「潜水空母」 旧日本海軍の考えた驚愕の戦法
第二次世界大戦中、日本の降伏が国民に公表される前日の1945年8月14日、西太平洋のウルシー環礁(現ミクロネシア連邦)付近には、アメリカ艦隊を攻撃するため潜伏していた日本海軍の潜水艦が存在していました。
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わずか3km強に「3者乗り入れ」「東京直通」も!? JR長大幹線の“歴史が濃すぎる”末端区間 終点は「南海のシマ」
JR紀勢本線の和歌山~和歌山市間3.3kmは、かつて東京発の列車が乗り入れた頃もありましたが、現在は区間列車が往復するのみの支線のような扱いになっています。その複雑な歴史を見ていきましょう。
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米軍が最も恐れた日本の戦艦=「大和」じゃない!? 際立つ存在感を示した古豪戦艦とは “快速”活かし駆け回る
1913年(大正2年)の8月16日、日本海軍が第二次世界大戦で運用した戦艦12隻のうち、唯一の外国製戦艦である戦艦「金剛」が竣工しました。
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戦争終わったはずじゃ!? ソ連潜水艦による一週間後の惨劇「三船殉難事件」1700人余が犠牲 でも日露両政府は認めず 何故?【後編】
8月15日は「終戦の日」と呼ばれるため、この日をもって戦争が終わったと思われがちです。しかし、南樺太ではその後も戦闘は続き、しかも北海道の沖合では民間船が沈められ、多数の犠牲者が出ていました。
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戦争終わったはずじゃ!? ソ連潜水艦による一週間後の惨劇「三船殉難事件」1700人余が犠牲 でも日露両政府は認めず 何故?【前編】
8月15日は「終戦の日」と呼ばれるため、この日をもって戦争が終わったと思われがちです。しかし、南樺太ではその後も戦闘は続き、しかも北海道の沖合では民間船が沈められ、多数の犠牲者が出ていました。
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軽トラのイメージ強すぎた!?「大阪の自動車屋」が気合い入れて作った “オシャレ車”の不遇
ダイハツというと小型車、とくに軽自動車や軽トラックのメーカーというイメージが強いのではないでしょうか。一方で、洗練されたクルマを生み出す企業でもあります。市場のニーズと齟齬が生まれた結果、不振にあえいだ車種がありました。
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幸運艦? いいえ“ホワイト職場”だったからです――不死身の駆逐艦「雪風」 偶然じゃない“筋の通った幸運”
陽炎型駆逐艦19隻のうち、艦齢31年という長寿記録を残したのが8番艦「雪風」です。主な海戦に参加しながらも生還し「不死身」といわれましたが、そこには艦の幸運を支えた要素がありました。
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チューハイorプロレス技?「赤羽スペシャル」なぜ生まれた? 米軍戦車に東京の地名ついたワケ
陸上自衛隊も草創期に使用したM4「シャーマン」戦車ですが、そのなかに日本の地名が付けられたタイプが存在します。なぜそのような名称になったかを紐解くと、太平洋戦争後の日本の置かれた状況が影響していました。