楠居利彦(鉄道ライター)の記事一覧
Writer: 楠居利彦(鉄道ライター)
1946年、東京生まれ。中央線の沿線で育ったので、鉄道は複線で電化され、長編成の電車が頻繁に走るものと認識している。鉄道誌の創刊に関わり、車両データ本の編集を担当した。趣味は鉄道模型製作。
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【懐かしの私鉄写真】「西武車の楽園」になる前の三岐鉄道、何が走ってた? 半世紀前の多彩な顔触れ
三重県を走る三岐鉄道三岐線では、JR東海から譲渡された5000系の営業運転が始まりましたが、50年ほど前は自社発注や小田急、相鉄など多彩な車両が走っていました。
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【懐かしの私鉄写真】構内踏切にドアカット 新宿では併用軌道! 京王帝都に路面電車の名残があった頃
京王電鉄の前身は京王電気軌道であり、その名の通り路面電車として発足しました。今でこそ20m車10両編成が地下や高架を走りますが、60年前は随所に、路面電車時代の名残が見られました。
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【懐かしの国鉄写真】「上野東京ライン」はありません! 北への特急が“東京駅発着”だった時代 6年間の貴重な光景
北への特急は全て上野発――いいえ、過去にも「はつかり」や「とき」などが東京駅まで乗り入れたことがあるのです。変化のただ中にあったターミナル駅とともに紹介します。
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【懐かしの私鉄写真】西武の貨物が走り回っていた「所沢&国分寺」 “武蔵野線ができる前”の風景 機回しがかなり大胆!?
かつて、西武鉄道には貨物列車が走っていました。商業施設「グランエミオ所沢」も、元々は貨物側線だったのです。国鉄との貨車の受け渡しは、池袋と国分寺で行われていましたが、1976年に大きな変化を迎えることになります。
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【懐かしの私鉄写真】東急の青ガエル、福島じゃ“赤ガエル”だった 「車両すべて入れ替え」前の福島交通
福島交通飯坂線は、1991年に架線電圧が750Vから1500Vに昇圧され、車両が全て東急7000系に置き換えられました。昇圧前は、東急から転じた“青ガエル”や、自社発注の車両も走っていました。
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【懐かしの私鉄写真】吊掛駆動の元祖 “テレビ電車”も!?「成田空港ができる前」の京成&新京成
現在は「スカイライナー」が走る京成線。成田空港が開港する前の1960年代は、全線改軌工事を経て都営地下鉄との直通運転が始まって間もない頃で、空港アクセス特急ではなく成田へ「開運号」が走るなど、路線の性格も大きく異なっていました。
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【懐かしの国鉄写真】車両が違う?いいからつなげろ! 国鉄の「遜色急行」全盛期 房総の夏
かつて国鉄では、「急行形以外の車両を使用した急行列車」が数多く存在しました。115系やキハ45系などが使用され、輸送力の増強に一役買っていました。ただ一部では不評を買うこともあったようです。
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【懐かしの私鉄写真】電車のるつぼ! 元・小田急 相鉄 営団 静鉄 買収国電…車両がひしめいた日立電鉄 院電の動態保存も
茨城県の日立電鉄には、改造車も含め各社からのお下がりが大量に在籍していました。1967年6月のツアーでは通常非公開の電動貨車へ立ち入れたほか、鉄道院時代の車両の走行シーンまで撮影できました。
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【懐かしの私鉄写真】新横浜線なんて思いもしなかった!「東急目蒲線」の記憶 旧型車コトコト 都会のローカル線
東急新横浜線の開業により、新たな直通運転ネットワークの一翼を担うことになった東急目黒線は、その前身を目蒲線といいました。最後まで旧型車が残り、3両編成の列車が行き交った都会のローカル線を懐古します。
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【懐かしの私鉄写真】岩手の路面電車? 花巻電鉄「鉄道線」の記憶 “馬づら電車”は始発駅でチラッと
温泉地で有名な岩手県の花巻。かつて国鉄花巻駅から、それぞれ鉄道線と軌道線で花巻温泉と鉛温泉へ向かう2本の路線が延びていました。私が乗ったのは鉄道線の方。1965年夏のことです。