「高架on高架駅」は歴史の象徴 JR秋葉原駅 開業130周年 でも旅客営業は95年!?
山手線と総武線が高架同士でクロスする構造が特徴の秋葉原駅が開業130周年を迎えました。しかし旅客駅としての歴史は95年です。その間はどのように利用されたのでしょうか。
「ダブル唯一」高架貨物駅&二重高架構造
設備の全てが高架化されるのは、さらに4年後の1932(昭和7)年7月のこと。このとき総武本線の両国~御茶ノ水間も延伸開業し、秋葉原駅は東北本線の高架のさらに上を総武本線の高架が直交する形になりました。この二重高架構造も当時としては唯一であり、また2020年現在も珍しい駅構造です。開業当初、地上の改札から総武線ホームへは計90段の階段を上る必要があったそうです。
秋葉原駅での貨物取扱いは戦後も続きました。しかし次第にコンテナ輸送が主流になったことや、手狭な市街地の中に高架で駅があることがあだとなり、ついに1975(昭和50)年2月、同駅での貨物取扱いは廃止されます。当時、東京発着の貨物取扱いは、東海道方面は汐留駅(東京都港区、現在の汐留シオサイト付近)、房総方面は小名木川駅(同・江東区)、東北方面は隅田川駅(同・荒川区)がそれぞれ担当しており、すでに秋葉原駅の取扱い量は大きく減少していました。
廃止後、貨物駅があった場所は東北新幹線用地となり駅設備の一部が撤去されたほか、貨物線は在来旅客線列車の留置線としてしばらく活用されました。しかし、2000年代に入ると周辺の再開発に伴い駅や線路跡は完全に撤去され、今その痕跡を探すのは難しいでしょう。
その中でかろうじて、貨物駅だったことをうかがわせる名残が駅の南東側にあります。現在の秋葉原公園です。ここはかつて掘割で、神田川から荷物を積んだ舟が出入りしていました。秋葉原駅は水運と陸運をつなぐ結節点だったのです。公園の脇には、掘割に架かっていた橋の欄干が残されています。
【了】
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