零戦エンジンとスワローズファンを運んだ引込線 壮絶な過去と廃線のワケ
武蔵境駅から、かつて北へ延びる線路がありました。旧中島飛行機の武蔵製作所へ向かう引込線です。戦中、主に兵器輸送を担った同線は戦後、野球ファンを輸送したことも。現在は廃線ですが、どのような経緯をたどったのでしょうか。
時代によって運ぶものが変わった 旧中島飛行機武蔵製作所引込線
JR中央線の武蔵境駅(東京都武蔵野市)から、かつて北へと分岐していく線路がありました。総延長約2kmの旧中島飛行機武蔵製作所引込線です。この路線は、国内に数多くあった軍用線の中でも、特筆すべき歴史を持っています。とりわけ興味深いのは、そこを走る列車が運んだものが、時代によって劇的に変わったことです。
太平洋戦争中は日本陸軍・海軍戦闘機のエンジン部品などを、終戦後は進駐した米軍の軍用物資やプロ野球の観客(とくにヤクルトスワローズの前身、国鉄スワローズのファン)を、それぞれ輸送していました。現在は、線路跡がほとんど遊歩道や公園になり、子どもを遊ばせるママ友たちや、思い思いに散策する人が行き交っています。
この路線が軍用線だった時代から見てみましょう。戦前と戦中、日本の本土には数多くの軍用線がありました。軍用線とは正式な定義はないのですが、主に軍隊や兵器輸送のために敷かれた専用線のことです。陸海軍の工場(兵器廠、工廠)、弾薬庫、飛行場などへ、国鉄・私鉄の線路から引込線などとして敷かれました。また、民間の軍需工場への専用線も軍用線と呼ばれています。
旧中島飛行機武蔵製作所引込線は、1943(昭和18)年の建設です。武蔵境駅から玉川上水付近までは、途中にある境浄水場への引込線を利用して線路が敷かれました。中島飛行機は、陸軍の戦闘機「隼」のほか、海軍の戦闘機「零戦」(三菱重工業からのライセンス生産)など多数の軍用機を生産し、三菱重工業と並んで二大航空機メーカーの一つでした。
武蔵境の東京方から左に伸びるのは 境浄水場専用線 で
中島飛行機や競技場に伸びていた 三鷹の高尾方から右に伸びる 競技場線 とは全く別物 で、中央線への接続駅を付け替えた という話しではないのでは??
2020.11.10の記事
「零戦エンジンとスワローズファンを運んだ引込線 壮絶な過去と廃線のワケ」に
「境浄水場引き込み線」との混同による 間違いがあるようなのですが?