零戦エンジンとスワローズファンを運んだ引込線 壮絶な過去と廃線のワケ

武蔵境駅から、かつて北へ延びる線路がありました。旧中島飛行機の武蔵製作所へ向かう引込線です。戦中、主に兵器輸送を担った同線は戦後、野球ファンを輸送したことも。現在は廃線ですが、どのような経緯をたどったのでしょうか。

時代によって運ぶものが変わった 旧中島飛行機武蔵製作所引込線

 JR中央線の武蔵境駅(東京都武蔵野市)から、かつて北へと分岐していく線路がありました。総延長約2kmの旧中島飛行機武蔵製作所引込線です。この路線は、国内に数多くあった軍用線の中でも、特筆すべき歴史を持っています。とりわけ興味深いのは、そこを走る列車が運んだものが、時代によって劇的に変わったことです。

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玉川上水に架けられた「ぎんなん橋」。廃線跡を示すレールが敷かれている(2020年10月、内田宗治撮影)。

 太平洋戦争中は日本陸軍・海軍戦闘機のエンジン部品などを、終戦後は進駐した米軍の軍用物資やプロ野球の観客(とくにヤクルトスワローズの前身、国鉄スワローズのファン)を、それぞれ輸送していました。現在は、線路跡がほとんど遊歩道や公園になり、子どもを遊ばせるママ友たちや、思い思いに散策する人が行き交っています。

 この路線が軍用線だった時代から見てみましょう。戦前と戦中、日本の本土には数多くの軍用線がありました。軍用線とは正式な定義はないのですが、主に軍隊や兵器輸送のために敷かれた専用線のことです。陸海軍の工場(兵器廠、工廠)、弾薬庫、飛行場などへ、国鉄・私鉄の線路から引込線などとして敷かれました。また、民間の軍需工場への専用線も軍用線と呼ばれています。

 旧中島飛行機武蔵製作所引込線は、1943(昭和18)年の建設です。武蔵境駅から玉川上水付近までは、途中にある境浄水場への引込線を利用して線路が敷かれました。中島飛行機は、陸軍の戦闘機「隼」のほか、海軍の戦闘機「零戦」(三菱重工業からのライセンス生産)など多数の軍用機を生産し、三菱重工業と並んで二大航空機メーカーの一つでした。

【地図】武蔵境駅から旧中島飛行機武蔵製作所までの引込線と野球場への旅客線

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2件のコメント

  1. 武蔵境の東京方から左に伸びるのは 境浄水場専用線 で
    中島飛行機や競技場に伸びていた 三鷹の高尾方から右に伸びる 競技場線 とは全く別物 で、中央線への接続駅を付け替えた という話しではないのでは??

  2. 2020.11.10の記事
    「零戦エンジンとスワローズファンを運んだ引込線 壮絶な過去と廃線のワケ」に
    「境浄水場引き込み線」との混同による 間違いがあるようなのですが?