「夜専門のはずですよね?」米空母「エンタープライズ」の悲喜劇 艦内24hコンビニ状態に

太平洋戦争中、アメリカ軍は昼夜問わず襲来する日本軍機の攻撃に悩まされます。解決策として同海軍は、レーダー装備の艦上夜間戦闘機を運用する専任空母を決めたものの、それが逆に乗組員の負担を増やす結果になってしまったようです。

レーダーの実用化で夜間も戦うことが当たり前に

 航空母艦、いわゆる空母が実戦で本格的に運用されるようになったのは、第2次世界大戦からです。同大戦が始まった1939(昭和14)年当時、まだ夜間飛行を容易にするための機載レーダーをはじめとする各種の航法支援機器は未発達であり、艦上機(艦載機)はもとより、陸上機でも夜間飛行には、パイロットのスキルに頼る高度な飛行技術が必要とされていました。

 その後、大戦の進捗にともなって各種技術が飛躍的に発達し、小型高性能化が進んだ結果、レーダーや方向探知機、航法支援機器などが次々と航空機に搭載できるようになります。結果、これらが実用化されたことで、適切な訓練さえ受ければ、夜間飛行はさほど困難なものではなくなりました。

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1945年10月、碧海をいくアメリカ海軍の空母「エンタープライズ」(画像:アメリカ海軍)。

 日米が激突した太平洋戦域では、航空技術についてはアメリカが圧倒的に進んでいたものの、大戦の後半になると日本側の航空機もレーダーを備えるようになり、二式飛行艇や一式陸上攻撃機などの大型機が、アメリカ側の空母機動部隊の動向を探るために飛行したり、場合によっては夜間攻撃なども行ったりするようになりました。

 夜間の戦闘は、昼間と違い圧倒的に視野が狭まるため、レーダーの有無が大きく影響します。そこでアメリカ海軍は、日本側の夜間攻撃に対処するため、主翼に対空レーダーを備えた艦上夜間戦闘機を開発しました。

 これによりアメリカ海軍は、夜間空戦の手法を確立します。軍艦が備える大型の艦上レーダーで遠距離から接近する日本軍機を探知したら、レーダー搭載の夜間戦闘機を空母から発艦させ、大まかな方位と高度を指示して近距離まで誘導、夜間戦闘機が機上のレーダーで日本軍機を捉えたら、そこから先は各機で戦わせる、というものでした。

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