今思うとありえない…? 首都圏の鉄道「当時は当たり前だった風景」5選 2020.11.25 乗りものニュース編集部 0 ツイート お気に入り tags: JR東日本, 上野駅, 京急, 京急空港線, 埼京線, 宇都宮線, 小田急, 東京駅, 東急東横線, 東海道線, 渋谷駅, 羽田空港駅, 駅, 高崎線 1 2 3 0 ツイート お気に入り 編集部おすすめ記事 「上野東京ライン」に隠された数千億円規模の計画 品川発、気づいたら「大津港」ってどこ? 寝過ごし注意の列車【関東編】 都県境越え、実に11回! 小田急小田原線と蛇行する境の謎 東京圏「残り」の地下鉄計画 実現の可能性が高い路線と低い路線 山手線「降りたことがない駅」トップは駒込 だが「影の薄い駅」は別の駅だった 最新記事 押すときは全面核戦争… 超音速ジェット爆撃機が備える「便利なボタン」何のため? 米搭乗員に聞いた 【交通と安全保障】自衛隊に発足「統合作戦司令部」 つまり何をするところ? 過去に検討も課題はたくさん〈後編〉 東海道新幹線の品川駅に「ミステリアスな巨大ポスター」が出現! “沿線じゃない地域”をPRするワケは 東海環状道の“左下”が29日延伸!「伊勢‐北陸」新ルート誕生まであと少し ブサイク過ぎる… 傑作「シャーマン」戦車ファミリーの“異端児” 頭でっかちのヘンテコになったワケ コメント コメントをキャンセルコメント(必須) お名前(必須) メールアドレス(必須)※公開されません 12件のコメント おっさん 2020/11/25 at 11:29 Reply 上野東京ラインは東北新幹線工事が始まる前までは繋がってたんだが。東京~上野が分断されていたのは1975~2015の40年間であって、それを「古き良き」っていうのは違和感があるな。ま、ライター若いから知らんのだろうけど。 gpx 2020/11/25 at 13:28 Reply 今でも似たようなケースは沢山残ってるけどな。府中本町で接続してるのに環状線にならない武蔵野線と、南武線とか。 OER2612 2020/11/25 at 17:57 Reply 上野発着が基本の列車群の一部が東京駅だったり常磐快速の乗り入れがあったり品川駅臨時ホーム発の多客臨があったり湘南日光なんていう観光目的の列車があったり…新幹線工事絡みで列車線が切られるまでは、それなりにあったのだがなぁ… ドライヌ 2020/11/26 at 00:08 Reply 東横線渋谷駅の今の方が、却って「ありえない(くらい不便で使いたくないし、北の方からやってくる車両もダサいし)」と思う。 OER2478 2020/11/26 at 14:48 Reply > 1992年撮影、地上時代の小田急小田原線経堂駅。こじんまりした駅施設に、留置線も見える。牧歌的な風景。経堂駅は「こじんまり」でもないし、1992年では「牧歌的」とは言えないように思う。 各駅停車派 2020/11/28 at 02:22 Reply 東急渋谷駅の階段は、風情があった。 地下鉄直通は便利だとは思うが、東横線は澁谷終点で良かったように思う。 都心直通・相模鉄道直通は、目黒線(昔は目蒲線)に任せて。 ででで 2020/11/28 at 09:13 Reply 振り返るにはあと5年早い気がする記事 和歌山線川端(貨)駅 2022/02/23 at 22:25 Reply 東横線の渋谷は潜って横浜はかなり深くなった。下北沢の乗り換えは別の経路を考慮したいほど不便になった。井の頭線から銀座線も遠くなった。京浜東北から中央快速へは東京でなく神田で乗り換えてる。下り東海道は東京では座れないので東北新幹線を大宮で降りて横浜方面への列車で空席にありついている。 NSE 2022/07/28 at 17:49 Reply 最近では理解し辛くなってそうだが、1つの典型例としては駅の巨大化なんかがもっと共感を呼び易いんじゃないかな。幾らバリアフリー化しても、総移動距離が飛躍的に遠くなったのは退化だわさ。 ポン 2022/08/11 at 02:29 Reply 実家が井の頭線沿線で、平成前半に結婚するまで20年以上住んでいました。渋谷駅は二十数年前にマークシティが出来た頃から少しずつ、特にこの10年ぐらいで大きく変わりました。下北沢駅も同様。井の頭線の渋谷駅はマークシティが出来て駅が神泉駅寄りに移ったのに対し、他の路線は都心寄りか地下深くに移ってまるで井の頭線ユーザーを無視しているかのような不便な位置関係になりました。実家に住んでいた頃、特に小学生の頃は習い事や塾通いに東横線を使っていましたが、結婚後はまだ副都心線ができる前に横浜から当時住んでいた川越まで帰る時に乗ったぐらい。2015年に実家の母と渋谷駅で待ち合わせして都立大学駅近くのパーシモンホールに行った時、駅が物凄く遠く感じました。 一微鉄分 2024/04/04 at 17:49 Reply 東京モノレールから開業当初、眼下に大井埋め立て前の海苔の養殖風景が見えたり、根岸線の関内より先の延これまた長区間開業時で、海?運河?に近いトコを走っていた、なんてのが有ったらしい、ですね。 のりてつ 2024/12/28 at 10:16 Reply 総武線の東京乗り入れ前は両国駅発だったが、そう言う話はないのかな。
上野東京ラインは東北新幹線工事が始まる前までは繋がってたんだが。
東京~上野が分断されていたのは1975~2015の40年間であって、それを「古き良き」っていうのは
違和感があるな。
ま、ライター若いから知らんのだろうけど。
今でも似たようなケースは沢山残ってるけどな。
府中本町で接続してるのに環状線にならない武蔵野線と、南武線とか。
上野発着が基本の列車群の一部が東京駅だったり
常磐快速の乗り入れがあったり
品川駅臨時ホーム発の多客臨があったり
湘南日光なんていう観光目的の列車があったり…
新幹線工事絡みで列車線が切られるまでは、それなりにあったのだがなぁ…
東横線渋谷駅の今の方が、却って「ありえない(くらい不便で使いたくないし、北の方からやってくる車両もダサいし)」と思う。
> 1992年撮影、地上時代の小田急小田原線経堂駅。こじんまりした駅施設に、留置線も見える。牧歌的な風景。
経堂駅は「こじんまり」でもないし、1992年では「牧歌的」とは言えないように思う。
東急渋谷駅の階段は、風情があった。 地下鉄直通は便利だとは思うが、東横線は澁谷終点で良かったように思う。 都心直通・相模鉄道直通は、目黒線(昔は目蒲線)に任せて。
振り返るにはあと5年早い気がする記事
東横線の渋谷は潜って横浜はかなり深くなった。下北沢の乗り換えは別の経路を考慮したいほど不便になった。井の頭線から銀座線も遠くなった。京浜東北から中央快速へは東京でなく神田で乗り換えてる。下り東海道は東京では座れないので東北新幹線を大宮で降りて横浜方面への列車で空席にありついている。
最近では理解し辛くなってそうだが、1つの典型例としては駅の巨大化なんかがもっと共感を呼び易いんじゃないかな。
幾らバリアフリー化しても、総移動距離が飛躍的に遠くなったのは退化だわさ。
実家が井の頭線沿線で、平成前半に結婚するまで20年以上住んでいました。渋谷駅は二十数年前にマークシティが出来た頃から少しずつ、特にこの10年ぐらいで大きく変わりました。下北沢駅も同様。井の頭線の渋谷駅はマークシティが出来て駅が神泉駅寄りに移ったのに対し、他の路線は都心寄りか地下深くに移ってまるで井の頭線ユーザーを無視しているかのような不便な位置関係になりました。実家に住んでいた頃、特に小学生の頃は習い事や塾通いに東横線を使っていましたが、結婚後はまだ副都心線ができる前に横浜から当時住んでいた川越まで帰る時に乗ったぐらい。2015年に実家の母と渋谷駅で待ち合わせして都立大学駅近くのパーシモンホールに行った時、駅が物凄く遠く感じました。
東京モノレールから開業当初、眼下に大井埋め立て前の海苔の養殖風景が見えたり、
根岸線の関内より先の延これまた長区間開業時で、海?運河?に近いトコを走っていた、なんてのが
有ったらしい、ですね。
総武線の東京乗り入れ前は両国駅発だったが、そう言う話はないのかな。