新幹線より遅いけど「高速鉄道」なぜ? 会社名&路線名の謎
100年以上前に検討された「都市高速鉄道網設計案」
とはいえ、まだ電車が発明される以前のことだったので、メトロポリタン鉄道は地下トンネルを、蒸気機関車が客車をけん引して走行していました。トンネルには一定間隔で換気口が設けられたものの、車内は煙でまみれていたといわれています。そのため、都市高速鉄道としての地下鉄が本格的に普及するのは、19世紀末に電車が発明されてからになります。
とはいえ、日本においても1888(明治21)年11月に開催された東京市区改正委員会第14回会議において、「地上に軌道を敷設する場合は本会において議定したる道路に影響するの懸念ある」との意見があがり、「ロンドンの地下鉄道、ニューヨークの高架鉄道の如きものに擬しこれを敷設するものと想像」するとして7路線からなる都市高速鉄道網設計案が検討されています。
この時は時期尚早として正式決定には至りませんでしたが、大正時代に入って路面電車の利用者数が急増し、満員電車と路面の混雑が問題化すると、1920(大正9)年に初めての地下鉄整備計画「東京市区改正設計高速鉄道網」が策定されました。この計画は関東大震災を経て1925(大正14)年に改定され、1927(昭和2)年に1号線として現在の地下鉄銀座線上野~浅草間が開業します。つまり、日本の都市高速鉄道も100年以上の歴史があるものなのです。
ロンドンの地下鉄からみれば150年以上の歴史がある都市高速鉄道に対し、新幹線が切り開いた高速鉄道の歴史は50年ちょっとに過ぎません。鉄道の歴史に照らしてみると、実は都市高速鉄道こそが本家本元の高速鉄道だったと言えるかもしれません。
【了】
Writer: 枝久保達也(鉄道ライター・都市交通史研究家)
1982年、埼玉県生まれ。東京地下鉄(東京メトロ)で広報、マーケティング・リサーチ業務などを担当し、2017年に退職。鉄道ジャーナリストとして執筆活動とメディア対応を行う傍ら、都市交通史研究家として首都圏を中心とした鉄道史を研究する。著書『戦時下の地下鉄 新橋駅幻のホームと帝都高速度交通営団』(2021年 青弓社)で第47回交通図書賞歴史部門受賞。Twitter:@semakixxx
路面電車に比べて高速だ。ということで帝都高速度交通営団。
京都だか、大阪だかは車掌プレートに高速車掌ってかいてあったような?
そして、低賃金をもじって、帝都低賃金どうでもええ団とかなじられてたそうな。
高速鉄道と新幹線(専用区間のみ)はほとんどが高架とトンネルなので、踏切がない。