戦時ゆえの「艦載機使い捨て」! 英国と敗北寸前の日本が浮かべた急造空母の顛末
戦果が目的ではない? 使い捨ててでも戦闘機が欲しかったワケ
なぜこのような無茶苦茶が通ってしまったのかというと、1939(昭和14)年に始まった第2次世界大戦は当初、ドイツやイタリアなど枢軸国が優勢であり、1940(昭和15)年末の時点でイギリスを中心とする連合国は、500万トンもの輸送船を潜水艦や爆撃機の攻撃によって失っていたからです。これはイギリスにおける当時の年間商船造船能力の6倍に匹敵します。資源のほとんどを植民地から海上輸送することで賄っていたイギリスにとって、輸送船の護衛は国家の命運を左右する大問題でした。
潜水艦に対しては海軍の駆逐艦で対抗できましたが、ドイツ空軍のフォッケウルフFw200 四発大型爆撃機はイギリス本土に配備された戦闘機の航続距離外まで進出でき、無抵抗の商船を一方的に攻撃できました。そのためイギリスは今日すぐに1機でも洋上で使える戦闘機が欲しかったのです。
FCS、CAMシップは実戦でフェアリー「フルマー」ならびにホーカー「ハリケーン」「シーハリケーン」戦闘機を射出しており、撃墜戦果自体は1941(昭和16)年から1943(昭和18)年間までに9機しかありませんでしたが、爆撃を失敗させるプレッシャーさえ与えられれば戦闘機1機を捨てても差し引きプラスといえました。
FCS、CAMシップから射出された戦闘機は、可能なら陸上飛行場へ着陸できましたが、8機が着水し2名が事故死しており、「使い捨て空母」は高い事故率をものともしない勇敢なパイロットの献身の上に成り立っていたといえます。そのため1943年以降は空母の数が揃ったことで、元々貨物船だった船は通常の輸送船としての任務に戻されました。
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