安い!速い!イタリアン「豆戦車」 作りまくったら戦争で足かせに

イタリアン豆戦車の初陣は散々な結果に…

 こうして1930年代後半、ベストセラー豆戦車になったCV33型は、国内の戦車部隊の拡充や輸出増加により、大量生産が求められるようになります。しかし、製造に手間の掛かる造りであったため、量産数を増やすのには問題がありました。そこで、工作技術をあえてスペックダウンし、また戦闘室の形状も簡略化するなどしたCV35型(L3/35型)が造られます。

 CV35型は、強力な8mm口径の機関銃を2丁装備しており、CV33型よりも攻撃力がアップしていたものの、不整地で履帯が外れやすいなど足回りの脆弱さが問題に。このため1938(昭和13)年には設計を一新し、サスペンション構造をトーションバー式にして新設計の履帯などを装備したCV38型(L3/38型)が開発されます。

 のちに派生型として火炎放射器搭載車も生産されたほか、架橋車や戦車回収車も試作され、さらに軽量であることから輸送機での空輸なども研究されました。

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1939年夏、3色迷彩が施されたCV35型(L3/35型)豆戦車。手間の掛かる電気溶接風の化粧処理は廃止され、剥き出しのリベットが見える(吉川和篤作画)。

 しかし実戦では、やはり車体が小型で防御力も低かったため、性能の限界を露呈することに。それが起きたのが、スペイン市民戦争(スペイン内戦)でのことでした。イタリアは1937(昭和12)年に義勇軍を派遣し、装備のひとつとしてCVシリーズを持ち込みましたが、敵のソ連製T-26戦車とぶつかると、性能的に対抗できず惨敗しています。

 それでも安価で数が揃えやく、軽便でイタリア北部の山岳国境では運用しやすいなどの理由から大量調達され、第2次世界大戦にイタリアが参戦した1940(昭和15)年6月時点で、総数1384輌が様々な部隊で運用されていました。これは同国の戦車総数において75%を占めており、事実上の主力戦車といえるものでした。

 ところが、ここまで広く配備されていたことで、その後のイタリア戦車の開発と配備が遅れる元凶になったのも確かでした。北アフリカの戦いでは、先のスペイン市民戦争のときと同様、イギリス戦車に大敗してしまい、その後のロシア戦線でも一冬で全滅。

 やはり本格的な戦車と比べると、L3形豆戦車は戦車とは言えない実態であったといえるでしょう。最前線で使えないため、たちまち後方用の二線級兵器となります。それでも戦車を持たないパルチザン(いわゆるゲリラ)などに対する戦いなどでは使えたため、治安部隊用として大戦終結まで使われたのでした。

【了】

【写真】こいつ動くぞ! イタリアに現存 走るCV豆戦車

Writer: 吉川和篤(軍事ライター/イラストレーター)

1964年、香川県生まれ。イタリアやドイツ、日本の兵器や戦史研究を行い、軍事雑誌や模型雑誌で連載を行う。イラストも描き、自著の表紙や挿絵も製作。著書に「九七式中戦車写真集~チハから新砲塔チハまで~」「第二次大戦のイタリア軍装写真集 」など。

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