旧海軍の一式陸攻は本当に「ワンショットライター」なのか 覆るかもしれないその評価

燃料タンクが無防備で炎上しやすく「ワンショットライター」とも呼ばれ、日本海軍航空機の人命軽視の象徴のひとつともされる一式陸上攻撃機。果たしてその酷評は正しいのでしょうか。実はそのイメージ、戦後についたものかもしれません。

一式陸攻の脆いイメージはその運用が原因か

 爆撃機や攻撃機による護衛機をともなわない出撃は、夜間以外には大損害を覚悟しなければならいというのは、遅くとも1943(昭和18)年の段階では参戦各国が共通して感じていたことになると思います。

 一式陸攻の場合、対地攻撃に関しては、当時の同じような運用方法だったドイツ軍の双発爆撃機と大差ないか、爆撃場所によってはそれ以下の損害率で済んでいます。ただ対艦攻撃の場合が問題で、これには護衛機が満足に飛ばせなかった戦争末期の時代、レーダーピケット艦(レーダーによる敵捕捉を任務とする艦)に補捉される形で航空機や駆逐艦に迎撃され、喪われた一式陸攻が多く含まれており、損害率も高くなっています。このころの一式陸攻は、燃料タンクや操縦席の防弾装備をより強化したタイプであるのにも関わらず、多くの機体が喪われました。

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WW2期の、アメリカ海軍の空母「インディペンデンス」。同名艦としては4代目(画像:アメリカ海軍)。

 ちなみに、『我敵艦ニ突入ス』(平義克己 著、扶桑社)には、護衛空母「インディペンデンス」のアラン・ロビー艦長の証言として、F6F「ヘルキャット」4機が一式陸攻編隊を迎撃したものの、なかなか撃墜できなかったことが語られており、『歴史群像太平洋戦史シリーズ42 帝国海軍一式陸攻』(学研プラス)では、ガダルカナルの戦いで26機を撃墜してエースとなったジョセフ・J・ジョー・フォス氏が、フライトシュミレーターのアドバイザーとなった際、一式陸攻に関しては十分な耐久力と防御火力を持った機体にするようにとアドバイスしたとの逸話が紹介されています。

 運用方法に関しては問題ありかもしれませんが、当時、敵であった軍人の証言などもあることから、一式陸攻は現在いわれているような、特別脆い機体ではなかった可能性が高いです。

【了】

【写真】実はレアかも 一式陸攻の「炎上」する姿

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ミリタリー、芸能、グルメ、自動車、歴史、映画、テレビ、健康ネタなどなど、女性向けコスメ以外は基本やるなんでも屋ライター。一応、得意分野はホビー、アニメ、ゲームなどのサブカルネタ。

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コメント

4件のコメント

  1. 細かな事ですが、インディペンデンスは護衛空母ではなく軽空母ではないでしょうか?

    米海軍の公式艦種としてCVEではなくCVLのはずです

  2. かの山本五十六司令長官乗機の一式陸攻が撃墜された際も

    墜落した機体自体や司令長官らの遺体は延焼してた様な話は無い様ですし、

    特段に燃え易い機体ではなかったかも知れませんね。

    後の創作や脚色による影響が多分にあるのだと思われます。

    「フライングシガー」は燃えやすいからというより

    葉巻型の機体を揶揄しているだけの可能性もありそうですね。

  3. すでに水杯を交わし、特攻の出撃予定が、八月二十四日。

    終戦が、八月十五日。

    一式陸攻の操縦員だった父の話。

    山本五十六の撃墜された時の話。

    次の日の捜索に参加。

    真っ黒こげの死体をこの目で見たとの証言。

    おべっかも忖度もしない父、父の証言こそ真実。

    己が搭乗の一式陸攻。グラマンに攻撃されて、

    操縦をあきらめた機長。艦爆乗りであった私の父が操縦を引き継ぎ。

    きりもみ飛行等で追撃をかわし、平常飛行に戻った時、

    先ほどのグラマンが近づき、ああ、もうこれで最後と覚悟した時、

    操縦技術に感嘆したのか、

    近づいたグラマンのパイロットが敬礼をして飛び去った。

    敵同士であっても、

    パイロットとしての矜持をお互い持っていた。

    酒を飲むと漢詩を吟じる父が、語った話である。

  4. 爆撃機は一式陸攻に限らず鈍足で航続距離が長いため、戦闘機にとっては格好の標的だった。「空飛ぶ要塞」B-17などはドイツ空襲に就いていける戦闘機が長くおらず、1000機以上が撃墜されている。P-51ムスタングが登場して護衛に就くのは44年の後半のWW2末期で、その頃には東部戦線を始め戦争の勝敗はわかっていた。B-29が現れるのもその頃で、わたしたちのイメージでは爆撃機は護衛の優秀な戦闘機が付随するものと勘違いしている。

    米軍からは一式陸攻は頑丈でなかなか撃墜できない爆撃機と高く評価されている。ただ、当時の爆撃任務の宿命で護衛戦闘機を揃えるのも一苦労だった日本の物資の少なさから、生きて帰れない爆撃機隊単独飛行が多かったために付けた搭乗員からの本音だったろう。

    ゼロ戦(やはり大戦中から言われていた)などもそうだが開発当初にはそれほど防弾思想が発達してなかった。当時は高速性能が高かったためで、結局は新型兵器を次々繰り出してくる米軍の圧倒的な開発能力と生産力に負けたと思う。