【空から撮った鉄道】大きく変化し続けるターミナル 渋谷駅の2010年と2021年

渋谷駅はおそらく日本で一番激変しているターミナル駅かと思います。駅は1990年代から大規模再開発が始まり、現在は高層ビルが次々と建設されるほどに変化しています。そこで、2010年の初空撮と現在の2021年とを比較し、激変するターミナル駅を紹介します。

この記事の目次

・渋谷駅は身近な存在だが、たまに地下で迷うことも
・渋谷駅が激変したのは昭和10年代から
・いまに続く大きな変化の始まりは東横線の地下化

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渋谷駅は身近な存在だが、たまに地下で迷うことも

 渋谷駅はすり鉢状地形の底部分に駅があります。JR、東急、京王、東京メトロの各鉄道の乗り換え駅で、東西南北、地下から高架へと上下縦横に移動して乗り換えるだけでなく、東京随一の繁華街や商業地域の玄関駅であるから、人波があちこちに流れ、現在位置が把握できなくなるほど複雑かつ、人の動きが活発です。

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2010年に撮影したときは「渋谷ヒカリエ」が建設中(画面右)。東急東横店西館(画面中央付近)は旧・玉電ビル。1938年に4階建のビルが竣工し、翌年に玉電がビルの中へ入る形で2階部分に高架乗り場が完成した。1954年に11階まで増築。ビル外観を見ると広告がある付近で上下の構造が若干異なるのが分かる(2010年8月21日、吉永陽一撮影)。

 そのためよく「渋谷駅はすぐ迷う」と耳にします。私は生まれた時から渋谷駅が身近な存在でしたので、迷うことはないと自負していました。が、この10年間の大規模再開発工事で動線がよく変わり、たまに地下で迷うこともあります。慣れている自分が迷うのだから、他所から来る人々はもっと迷いそうです。この工事はまだまだしばらくかかるので、慣れるしかないかなぁと思っています。

渋谷駅が激変したのは昭和10年代から

 渋谷駅のターミナル化は戦前に遡ります。明治時代に日本鉄道の駅として開通した時は、南北に流れる渋谷川に水車があって、茶店など数軒の家屋があるほどの大変のどかな場所でした。

 やがて街と駅は発展していきます。とくに関東大震災後は、下町から山手へと住宅地が広がり、渋谷にも歓楽街が誕生しました。それに呼応するように、鉄道網も充実していきます。

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南側から撮影した渋谷駅周辺。かまぼこ屋根が特徴だった地上時代の東急東横線渋谷駅には9000系と5050系が停車する。画面左上には東京メトロ銀座線の折り返し線に01系電車が停車しているのも見える(2010年8月21日、吉永陽一撮影)。
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上の写真と同じアングルで撮影した2021年の姿。東横線跡地は「渋谷ストリーム」へ。画面左下の桜丘地区は再開発で更地となっている(2021年3月30日、吉永陽一撮影)。

 駅が激変したのは昭和10年代のこと。鉄道省の山手線(JR山手線)、東京横浜電鉄(東急電鉄東横線)、地下鉄の東京高速鉄道(東京メトロ銀座線)、帝都電鉄(京王井の頭線)、玉川電気鉄道(東急玉川線、現在は廃止。通称「玉電」)、東京市電(都電、現在は廃止)が、地上~3階部分へと、縦横に乗り場が作られ、それぞれの乗り場を接続するように「東横百貨店」や「玉電ビル」の駅ビルが建設されました。

 駅東側は東横百貨店の7階建ビルが建ち、高架ホームの東京横浜電鉄と直結。駅西側は4階建の玉電ビル2階部分に、路面電車である「玉電」の高架乗り場が誕生。山手線は高架であったので、「玉電」とフラットに乗り換えることが可能となりました。なお玉電ビルは1954(昭和29)年に上階を増築して東横店西館となり、2020年3月に閉館。現在は解体作業が始まっています。

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Writer: 吉永陽一(写真作家)

1977年、東京都生まれ。大阪芸術大学写真学科卒業後、建築模型製作会社スタッフを経て空撮会社へ。フリーランスとして空撮のキャリアを積む。10数年前から長年の憧れであった鉄道空撮に取り組み、2011年の初個展「空鉄(そらてつ)」を皮切りに、個展や書籍などで数々の空撮鉄道写真を発表。「空鉄」で注目を集め、鉄道空撮はライフワークとしている。空撮はもとより旅や鉄道などの紀行取材も行い、陸空で活躍。

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