和歌山「車庫ないのに"車庫前"バス停」消滅 実はラーメン業界の歴史変える一大画期?
「車庫前系ラーメン」なぜ生まれた? 現在は車庫前にラーメン店もほぼナシ
和歌山の路面電車の歴史は古く、1909(明治42)年に開業しています。昭和20年代から30年代前半までは多くの乗客で賑わい、運転士や整備士など、早朝から未明まで働く鉄道関係者のために、路面電車の周りに深夜まで営業を続けるラーメン屋台が増えてきました。また和歌山県内には醤油発祥の地とも言われる湯浅があり、周辺の地域から豚骨・鶏ガラ・魚介類などを仕入れやすい環境も整っていました。
そうしたなか、車庫の裏手に店を出していた屋台が評判を呼ぶようになります。その秘密は調理法にあり、鍋一杯の醤油で煮込んだ豚骨を取り出し、それを煮込んでスープをとるという手間をかけたものでした。冷蔵庫がまだ普及していない時代に編み出した苦肉の策とも言えるものでしたが、当時の店主が惜しげもなく手法を広めたことから、瞬く間に後の「車庫前系」につながる、同じ手順でラーメンを作る屋台が増えていったと言われています。
路面電車の全線廃止、車庫の売却とともに人の流れは変わり、それぞれの屋台は市内各地で「元車庫前」という看板を掲げた固定店舗を構え、それぞれの地で顧客をつかんでいきます。いまや県外にも「元車庫前」と掲げた店舗を見かけるほどで、バス停の名前が消えても「車庫前系」の名前は残り続けることでしょう。
ただ、こうした経緯のほか、車庫前バス停のある道は500mほど西側にバイパスが開通したため旧道化していることもあり、「車庫前系」に分類される店舗は、ほとんど他地域に移転しています。ここに飲食店が軒を連ねていたことは、現在では想像もつかないほどになっているものの、発祥の地ゆえにわざわざ車庫前バス停まで車庫前系ラーメンを探しにくる人もいたのだとか。
今回、改称される9つのバス停の中には、「公園口→和歌山城前」など観光客に向けたケースもあります。「車庫がない車庫前」として50年が経過してからの名称変更は、勘違いをさせないための配慮と言えるのかもしれません。
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