旧陸軍も後押し 関門トンネルはなぜ戦時下に完成を急がれたのか 背景に壮大な計画も

軍事的緊張が高まるなか突貫工事で開通!

 なぜ陸軍がこの計画に乗り気だったのでしょうか。それは、このトンネルが開通し実績ができれば、国内の流通の安定だけではなく、当時、計画としてあった九州、壱岐、対馬、朝鮮半島を海底トンネルでつなげ、満州から九州までつながる鉄道網を構築しようという「大東亜縦貫鉄道構想」も前進するのでは、という思惑があってのものでした。空前の規模の計画ですが、完成すれば、陸軍は大陸向けの軍需品輸送の多くを鉄道で行えるということで、海上輸送よりも安定的な補給網を確保できることになります。

 関門トンネルの起工直後に、大陸では中華民国との軍事衝突が始まりましたが、地質などを調べるために本坑に先行して掘られていた試掘坑道は、1939(昭和14)年には貫通しました。その後も、戦時体制下であっても工事は止まらず、出水事故などを克服しながら、1941(昭和16)年7月10日には下り線の本坑が貫通しました。この本坑の工事には、これまで国内で満足にいく結果の得られなかった「シールド工法」を成功させるため、関係悪化がいちじるしいアメリカにまで視察へ行ったそうです。

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関門(鉄道)トンネル用シールドマシン(画像:鉄道省 土木建築工事画報1939年1月号「関門海峡連絡隧道工事図譜」/Public domain、via Wikimedia Commons)。

 下り線には1942(昭和17)年6月11日に最初の試運転列車が通り、7月1日に貨物用として開通し、11月15日には旅客用にも開通しました。上り線のトンネル開通は1944(昭和19)年8月8日で、同年9月9日から複線での運用が開始されたようです。なお、上り線トンネルの着工は1940(昭和15)年ということで、戦時中の物資の安全な流通の確保という目標もあり、かなりの突貫工事で進められていたことがうかがえます。

高いところが苦手な人は閲覧注意 関門橋主塔上部からの眺め

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コメント

1件のコメント

  1. トンネルポータルさえ爆撃すれば簡単なような気もしますが奇跡的にやられなかったのですかね。青函トンネルの軍事的価値を叫ぶ人もいましたが、出入り口には警備員が一人いたかいないか…近くに地対空ミサイル陣地なんて無さそうだし…