自沈すら阻止された不運すぎる独潜水艦U-505の逆転 かくて不名誉艦は栄誉に与かれり

不名誉転じて栄誉に与るU-505 かつての「誇り」をいまに

 そうしたなか連合軍が恐れたのは、ドイツがU-505の被鹵獲を知って、エニグマの設定を変更してしまうことでした。絶対の防諜処置がとられ、U-505の捕虜となった乗組員は、ほかのドイツ軍捕虜から隔離、赤十字社による面会も禁止されました。バミューダの基地に係留されていたU-505にはUSS「ネモ」という偽装艦名が付けられます。事情を知らないドイツ海軍では、U-505は亡失と認定され、乗組員は戦死を公示されます。

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鹵獲された直後のU-505の航法装置と無線機器。右側に小さな扇風機がある(画像:アメリカ海軍)。

 戦後U-505はポーツマス海軍基地に移され、ほぼ放置されていましたが、標的として海没処分されることになります。しかしU-505の鹵獲作戦を指揮したギャラリー提督(大佐から昇進)の働きかけで、1954(昭和29)年9月3日にシカゴ科学産業博物館へ寄贈されることになりました。

 この博物館は軍事や戦争の博物館ではなく、産業の啓蒙と公共の科学教育を目的として設立されており、ドイツの技術産業遺産としてU-505の価値が認められたのでした。かつての敵国の潜水艦にもかかわらず、U-505の移送と設置のためのシカゴ住民からの寄付金は25万USドル(2021年現在の価値でおよそ5.4億円。消費者物価指数を基に推定)に上り、1954年9月24日にU-505は博物館へやってきます。

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U-505で鹵獲されたドイツ海軍のクロノメーター(高性能ゼンマイ式時計)。航海には正確な時刻が重要で、古くから高精度の時計が競って作られてきた(画像:アメリカ海軍)。

 博物館へ持ち込まれた時には、船内のほとんどの部品が取り外されていて、展示物としては使えない状態になっていました。博物館のローア館長は、潜水艦のオリジナル部品を供給していたドイツのメーカーに代替品を依頼、するとドイツのどの会社も要求された部品を無償で提供し、「この船をドイツの技術が信頼に値する栄誉の証であることを伝えてほしい」というメッセージが送られてきたといいます。

 U-505は博物館で復元作業が続けられ、2019年には屋内地下展示室で再現映像や特殊効果も交えて、鹵獲当日のストーリーが展示されています。船内見学ツアーも用意され潜水艦技術と当時の乗組員の活動や生活ぶりを実体験できます。

 現役中には不名誉続きでしたが、戦後はアメリカ、ドイツ国民から支持されて技術遺産継承を託される名誉を得ました。時代とともに運命は移りゆくようです。

【了】

【写真】沈没待ったなし! 米海軍による緊迫のU-505鹵獲作業

Writer: 月刊PANZER編集部

1975(昭和50)年に創刊した、40年以上の実績を誇る老舗軍事雑誌(http://www.argo-ec.com/)。戦車雑誌として各種戦闘車両の写真・情報ストックを所有し様々な報道機関への提供も行っている。また陸にこだわらず陸海空のあらゆるミリタリー系の資料提供、監修も行っており、玩具やTVアニメ、ゲームなど幅広い分野で実績あり。

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