【空から撮った鉄道】ちょっと前の大手私鉄 懐かしの「小田急顔」と「ロマンスカー」
小田急電鉄はこの10年間の間で「ロマンスカー」の世代交代が進み、通勤形車両も「小田急顔」と言われた5000形が去って顔ぶれが一新しました。2009年から2012年のあいだはまだ辛うじて旧世代のロマンスカーと5000形が最後の活躍をしていた年代です。先日の京王電鉄と同じ年代のときを振り返ってみましょう。
この記事の目次
・正面からは判別が難しかった通勤車
・最後まで「小田急顔」で残った5000形
・小田急といえばやっぱり「ロマンスカー」
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正面からは判別が難しかった通勤車
小田急電鉄の車両と聞くと、通勤形で思い浮かべるのは白い車体に太く青いストライプ、額に前照灯が2灯で、額も若干広め。若干貫通扉には手摺りがついて縦書きの方向幕があり、ワイドボディのため裾が絞られている。そんな姿です。
文章にするとイメージしにくいですが、何十年も前から小田急電鉄を知っていると、「ああ、あの顔つきか」と思い浮かべます。いつしか、鉄道ファンの間で「小田急顔」と呼ばれました。
いつ頃に「小田急顔」の車両が登場したのか確証はありませんが、小田急電鉄の歴史を振り返ってみると、戦前に登場した1600形がどうやらそれっぽいのでは? と思います。1948(昭和23)年のノンストップ特急運転開始時の写真を見ると、ウィンドシル・ヘッダーを巻いた窓まわりや貫通扉の手摺りなど、小田急顔の雰囲気が出ています。
戦後の通勤形車両は、2200形や9000形などを除いて小田急顔となりました。私が子供時代から身近であった2400形、2600形、4000形、5000形、5200形は、正面から見ると幅の狭い2400形以外は同じ幅広車体の顔で、塗装も白地に青帯なものだからなかなか区別がつきません。4000形は台車がディスクブレーキに釣りかけ、5200形は一段下降窓であったから、側面から見たら判別できたものの、正面からだと判別するのは難しかったです。
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Writer: 吉永陽一(写真作家)
1977年、東京都生まれ。大阪芸術大学写真学科卒業後、建築模型製作会社スタッフを経て空撮会社へ。フリーランスとして空撮のキャリアを積む。10数年前から長年の憧れであった鉄道空撮に取り組み、2011年の初個展「空鉄(そらてつ)」を皮切りに、個展や書籍などで数々の空撮鉄道写真を発表。「空鉄」で注目を集め、鉄道空撮はライフワークとしている。空撮はもとより旅や鉄道などの紀行取材も行い、陸空で活躍。