まるで「西鉄バス専用参道」 日本三大八幡の境内に通じる廃線跡の不思議な道 名残は随所に
全長11km超え!西鉄福岡市内線の「貫線」とは?
バス専用道の原型となった西鉄福岡市内線の貫線は、ほとんどの区間で「明治通り」(国道202号の旧道)の道路上(併用軌道)を走行していました。1910(明治43)年、西鉄の源流のひとつである「福博電気軌道」が路線を開業させた当時から、バス専用道の区間は路面電車のみの専用軌道として建設され、楼門・本殿まで3~4分ほどで到達できる「二之鳥居」横、現在の箱崎バス停上に当時の終点駅が設けられました。いまもバスの交換が可能な専用道の道幅や、近辺の広々とした自転車置き場、いかにも駅舎を設置できそうなスペースなどに、主要駅としての名残を感じ取ることができます。
1921(大正10)年には参道を横切るかたちで東側に延伸され、箱崎~工科大学前(のちの九大前)間の800m弱が開業し、福岡市内を11.9kmにわたって東西に貫く「貫線」の原型が誕生しました。ご利益のひとつに「勝運」がある筥崎宮は、戦時中には出征兵・家族の参拝客が絶えなかったといいますが、その多くが路面電車を利用したことでしょう。
しかしモータリゼーションが到来し、渋滞による電車の所要時間増加などもあり貫線は廃止、西鉄市内線も4年後の1979(昭和54)年には新規に建設される地下鉄に役割を譲るかたちで福岡の街から姿を消します。道路上の併用軌道は廃止後すみやかに撤去されるなか、専用軌道上にあった箱崎~馬出間は周囲に大きな幹線道路がなかったこともあってか、貫線廃止からたった2週間ほどでバス専用道として供用を開始しました。
1986(昭和61)年には福岡市営地下鉄の箱崎宮前駅がバス停のすぐ北側に開業しましたが、渋滞に左右されないバス専用道はそのまま使用されています。一方で箱崎から西鉄バス「箱崎三丁目」までの区間は自動車・歩行者も通れる「ふれあい通り」として、箱崎地区の生活道路の役割を果たしています。
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