転換点はひとりのキーパーソン もうコピー兵器とはいえない中国第3世代戦車への歩み
戦車づくり 他国へ一気に追いつくには?
中国は1950年代にソ連からT-54戦車のライセンス生産権(後の59式)を得て、戦車技術を少しずつ取得し始めます。工業基盤はまだ脆弱で自動車の生産もままならない状態でしたが、様々な工業力の集合体でもある戦車の生産は、工業化の促進も後押しします。
第3世代戦車を手掛けたのは、文化大革命の混乱が終わった1976(昭和51)年とされます。対立関係になっていたソ連のT-72戦車を仮想敵として、対抗できる戦車の開発を目指したのです。ちなみに日本の90式開発が始まったのはほぼ同時期の1977(昭和52)年で、当時、最強といわれた125mm滑腔砲を備えたソ連のT-72に対抗できる戦車を開発するのが各国技術者の課題だったのです。
いち早く新型戦車を開発するには、外国の技術を導入するのが近道です。中国技術陣は西ドイツ、イギリス、スイス、アメリカを視察し、「外国製の優秀なコンポーネントを集めれば、全体が優秀なものになる」というアプローチで、外国製品を繋ぎ合わせたWZ-1226という戦車を試作します。ところがこれは、アンバランスな「フランケンシュタイン」になってしまい使える戦車ではありませんでした。総合企画力、システム工学力が不足していたのです。
そうしたなか、技術陣は「レオパルド2派」「メルカバ派」「T-72派」に分かれて、3つのコンセプトを党中央に提案しました。なおこれら派閥名は3つの提案を具体的な戦車に例え便宜的に呼んだもので、正式名ではありません。
それら3つの案のなかで、前の2派は相変わらず各国戦車の良い所取りをしようとしていたのに対し、T-72派は「個々のコンポーネントは必ずしも優秀でなくとも、高度に統合されて、最適化して動作することで全体のパフォーマンスは向上する」という、システム工学に基づいた堅実なものでした。
スウェーデンとスイスが主力戦車を独自開発純国産配備・・・???