イギリス傑作機「ランカスター」出生のヒミツ 兄貴分「マンチェスター」爆撃機が消えたワケ
傑作機「ランカスター」の誕生
ただ、エンジンを2発から4発にするというのは、いうほど簡単なことではありません。エンジンを増やせば空気抵抗や機体の重心バランスが変わるため、離着陸を含む飛行特性が大幅に変化します。そのため、改修によって逆に低性能になってしまったり、改修スケジュールが大幅に遅延したりする可能性もありましたが、この改修に関わったアブロ社の上級設計技師ロイ・チャドウィック氏は、自身が手掛けた設計なので、「マンチェスター」を熟知しており、たったの3週間で改修を済ませました。
1941(昭和16)年1月9日、「マンチェスター」Mk.IIIは初飛行し、この改修が大成功だったことを知らしめます。劇的に性能が改善された同機は、改めて「ランカスター」Mk.Iの名称が付与され、制式化の後、イギリス空軍の対ドイツ戦略爆撃の主力として7377機も生産されました。
こうして見てみると、「ランカスター」の兄貴分的存在といえる双発爆撃機「マンチェスター」はいかにも欠陥機のように思えますが、機体構造そのものは優れていたといえるでしょう。
エンジンに泣かされ短命に終わったとはいえ、基本設計が良かったからこそ短期間で4発エンジン化した弟分「ランカスター」を生み出すことができたわけで、そう考えると「マンチェスター」も設計からしてダメな“欠陥機”ではなかったといえるのではないでしょうか。
いうなれば「マンチェスター」は、傑作機「ランカスター」を生み出すための黒子的存在の飛行機といえるのかもしれません。
【了】
Writer: 白石 光(戦史研究家)
東京・御茶ノ水生まれ。陸・海・空すべての兵器や戦史を研究しており『PANZER』、『世界の艦船』、『ミリタリークラシックス』、『歴史群像』など軍事雑誌各誌の定期連載を持つほか著書多数。また各種軍事関連映画の公式プログラムへの執筆も数多く手掛ける。『第二次世界大戦映画DVDコレクション』総監修者。かつて観賞魚雑誌編集長や観賞魚専門学院校長も務め、その方面の著書も多数。
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