ロジスティックから見たハワイ攻略 真珠湾攻撃と「その先」 旧日本軍の手は届いたか?

かくて真珠湾攻撃は成った その後の戦略は…?

 アメリカは日本の外交暗号の多くを解読していましたが、12月に入っても第一航空戦隊(「赤城」「加賀」)と第二航空戦隊(「飛龍」「蒼龍」)の所在はつかんでいませんでした。またアメリカ海軍内では、日本軍によるハワイ攻撃が想定されていたものの、そうしたリスクを承知の上でか否か、アメリカ政府は日本への外交的圧力を強化するため、太平洋艦隊を本拠地のサンディエゴからハワイに前進させていました。

 かくして1941(昭和16)年12月7日の真珠湾攻撃は成功し、集結していた太平洋艦隊に大打撃を与えて、日本海軍機動部隊はハワイ航路から凱旋したのです。

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真珠湾攻撃の機動部隊に随伴したタンカーの1隻「神国丸」。1941年9月25日特設給油艦として艤装した際に撮影。民間籍だが政府の助成で建造され戦時には徴傭される。

勝利への隘路 ハワイを占領せよ!

 日本の戦略には、憧れのハワイ航路の制空権、制海権を得ることが必須でした。第一段作戦(南方作戦)の成果を防備拡大するため第二段作戦(オーストラリア占領、米豪遮断、ハワイ占領)が企図されます。

 第二段作戦のタイムスケジュールは、1942(昭和17)年5月に東部ニューギニアのポートモレスビー攻略作戦(MO作戦)、6月にミッドウェー攻略作戦(MI作戦)、アリューシャン攻略作戦(AL作戦)、7月にフィジーおよびサモア攻略作戦(FS作戦)、10月にハワイ攻略作戦というものでした。運命のMI作戦にはミッドウェー島攻略のほかに、制空権、制海権を確保するためのアメリカ空母殲滅という、ふたつの目的がありました。

 この稀有壮大な第二段作戦が日本勝利の分水嶺でした。ロジスティクス面からもハワイ攻略までが攻撃の限界点であり、ハワイ占領という衝撃をアメリカに与えて早期講和に持ち込もうと考えていたようです。

確かにミッドウェー島が欲しくなる…真珠湾攻撃部隊の航路図

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コメント

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2件のコメント

  1. 確かに、ハワイを当時の大和・武蔵等の巨大戦艦で軍事施設を破壊して、攻略することまで、仮に可能だったとしても、戦争はそれで終わりではありません。果たして、日本本土から6500キロも離れたハワイ諸島に食料品や、燃料などを送る貨物船や、タンカーを用意できるほどの国力が当時の日本にあったとは、思えません。間違いなく、アメリカ潜水艦の雷撃の前に10隻中、7~8隻が撃沈されてしまったでしょう。ロジスティックスの維持という基本的戦略視点が全く欠けていた当時の日本には、とても無理な話だったと思えてなりません。

  2. 仮に当時の日本がロジスティクスを意識した超優秀な人材だったとしても、米国が潜水艦を大量生産にシフトしてたら詰んでたと思う
    護衛戦隊が超優秀でも完全防御は不可能だし、史実の大西洋側みたいに航路を哨戒網で埋めるにしても、太平洋は広すぎる
    有能無能関係なく、ミッドウェー・ハワイ方面はどの道詰んでたと思う
    (他の方面で決着をつけて、相手の心を折る講話為の一撃なら、可能性はなくも無いが…)