国鉄型電車「201系」今や絶滅危惧種 「省エネ電車」進化の記憶をたどる

各線区へ転属 形態も変化

 JR化後、JR東日本の201系は中央快速線、青梅・五日市線と中央・総武緩行線を中心に運転。中央快速線の201系(6両編成)は共通運用で武蔵野線でも使われるようになりました(武蔵野線8両編成化により1996年で終了)。

 中央快速線の201系は「特別快速」で運転する際、101系、103系と同様に前面に板式の種別板を掲出していました。

 種別板の前面掲出は中央快速線の201系化完了により1986(昭和61)年3月でいったん廃止となりましたが、同年11月に新種別「通勤快速」が誕生したことで列車種別が増えたこともあり、1987(昭和62)年5月になって差し込み式の種別板により復活しています。当時は早朝・深夜に中央線各駅停車としても運転していたことから、前面と側面の行先表示器には「各駅停車」と表示しているものの「特別快速」との誤乗誤乗を防ぐためとも言われています。

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中央・総武線緩行線の201系と差し込み式の種別板を掲出した中央快速線の201系「特別快速」が併走する。(伊藤真悟撮影)。

 1990(平成2)年になると201系に保安装置のATS-P型を設置する改造が行われました。しかし、試作車のクモハ200形は機器を取り付けるスペースが少ないことから、試作車への取り付けは行われず、編成を分割して量産車のあいだに封じ込める組み替えが行われました。以後、試作車は営業線上で先頭に出ることはなくなってしまいました。

 中央快速線用の201系は1992(平成4)年12月からは順次、電照式の種別表示器を装備しました(分割編成の中間に連結される先頭車を除く)。それまでは東京駅や高尾駅で駅員により種別板を交換していたのですが、それを省力化することを目的としたものです。あわせて先頭車への排障器(スカート)の取り付けも開始しています。これは先頭車の床下に搭載しているATS-P形の車上子を、踏切事故や線路上の障害物から保護するためのものでした。

 JR東日本では、2000(平成12)年になって中央・総武緩行線にE231系電車を投入。捻出するかたちで中央・総武緩行線で使用していた201系は、青梅・五日市線や京葉線へと転属しました(試作車は京葉線へ)。続いて、2006(平成18)年には中央快速線にE233系電車の投入を開始し、青梅・五日市線は2009(平成21)年、中央快速線では2010(平成22)年で営業運転を終了しました。京葉線に転じた201系も、E233系5000番台の投入により2011(平成23)年で営業運転を終了し、JR東日本の営業線上から201系は姿を消し、保留車のクハ201-1が残るのみとなっています。

【懐かし写真】201系試作車から量産車まで(28枚)

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コメント

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2件のコメント

  1. J西N40の「円」の字窓も歴史的価値があると認められればですね。 
    動態で走らせないとしても103系もそうですがクハばかりというのもどうなんでしょう。

    • 試作車の8M2Tの件ですけれども営業開始後しばらくして乗って運転室を見たらユニットカットと書いてあった、という話を聞いたことがあります。