国鉄型電車「201系」今や絶滅危惧種 「省エネ電車」進化の記憶をたどる

JR西日本の201系も形態変化

 JR西日本の201系は、引き続き東海道・山陽緩行線(JR京都線・JR神戸線)で運転していましたが、1994(平成6)年3月のダイヤ改正で湖西線山科~堅田間での運転を開始。1996(平成8)年には神戸から須磨まで運転区間を延長するとともに、1997(平成9)年9月には福知山線(JR宝塚線)の新三田まで入線するようになりました。2000(平成12)年には湖西線の永原駅まで乗り入れたこともありました。

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東海道・山陽緩行線で使われていたころの201系(1990年、伊藤真悟撮影)。

 この間、先頭車に排障器を取り付けたほか、一部編成は屋根上の通風器(ベンチレーター)を撤去した編成が登場しましたが、2003(平成15)年より「体質改善工事」の施工を開始します。

「体質改善工事」とは車両の延命と車内の内装の一新を目的としたもの。外観上では戸袋窓の埋め込み、ドア間の窓が下段固定で上段は2分割となったほか、前照灯がガラス内に収納されたのが特徴です。

 JR西日本でも201系は他線区に転属するようになります。2005(平成17)年より東海道・山陽緩行線に新型車両321系を投入したことで、201系は大阪環状線や関西本線(大和路線)の103系を置き換えるために転属。関西本線(大和路線)用は車体色が「ウグイス色」で前面に白帯を配したもので、201系初の塗装となったことも話題となりました。

 2008(平成20)年8月にはおおさか東線が部分開業し、「ウグイス色」の201系はここでも使用されるようになりました。また大阪環状線では2016年に323系電車を投入。押し出される形で201系は順次関西本線(大和路線)へと転属します。この間、行先表示器のLED化や冷房装置取り替えなども行われ、現在見られるような姿となっています。

※ ※ ※

 国鉄時代から使われてきた201系もいよいよ終焉が近づいてきます。JR東日本ではクハ201-1が豊田車両センターに保留車として残されていますが、JR西日本の201系も保存されるのか気になるところです。

【了】

【懐かし写真】201系試作車から量産車まで(28枚)

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コメント

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2件のコメント

  1. J西N40の「円」の字窓も歴史的価値があると認められればですね。 
    動態で走らせないとしても103系もそうですがクハばかりというのもどうなんでしょう。

    • 試作車の8M2Tの件ですけれども営業開始後しばらくして乗って運転室を見たらユニットカットと書いてあった、という話を聞いたことがあります。