戦艦「伊勢」竣工-1917.12.15 改修後は世界で例なき「航空戦艦」に 強くなったのか?
「航空+戦艦」は強かったのか
とはいえ、主砲の射撃時は飛行甲板が使えない、敗色濃くなるなか、そもそも搭載する艦載機がないなど、「伊勢」は想定された運用を十分にできなかったとされています。間に合わせであれ、航空機を運用できる艦を保持しておきたいという軍部の考えで生まれたといえるでしょう。
1944(昭和19)年10月、「伊勢」はレイテ沖海戦に参戦。しかし広い面積を有する飛行甲板を用いて物資運搬に従事するくらいで、大きな戦果を挙げることなく日本本土へと戻ってきます。
1945(昭和20)年に入ると燃料が欠乏し、「伊勢」は広島県の呉軍港に留め置かれることが多くなりました。船体後部に広がる飛行甲板には対空兵装が増設され、専ら砲台のようでした。
終戦直前の1945(昭和20)年7月、「伊勢」は呉軍港でアメリカ軍の空襲を受け「日向」とともに大破着底。終戦後、2隻とも浮揚・解体されました。ちなみに「伊勢」は浮揚後しばらくのあいだ、外地からの引揚者の住宅として艦内が使われたことがあります。
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