世界遺産を線路が横切る“はずではなかった”? 近鉄奈良線、移設合意も長い道のり
計画では2060年ごろに線路の移設完了
ところが1960(昭和35)年の発掘調査によって、平城宮の範囲は当初より広大だったことが判明したのです。すでに奈良線には多くの電車が行き来していました。その後1998(平成10)年に世界遺産に認定されると、県は近鉄に対し「線路を移設してほしい」と要望したのです。
一方の近鉄は後から「どいてくれ」と言われても困惑するばかりです。奈良線は奈良と大阪方面を結ぶ重要路線であるうえ、至近の大和西大寺駅は京都線・橿原線も乗り入れる近鉄の要衝です。工事によってたくさんの路線に影響が出ることは必至でしょう。
また、移設することによって駅間が長くなってしまうという懸念もあります。現在は大和西大寺~近鉄奈良間に新大宮駅がありますが、仮に県の要望通りに迂回するならば、近鉄は同区間に朱雀大路駅(仮称)を新設するという青写真を描いています。またあわせて、新大宮~近鉄奈良間にも油阪駅(仮称)を復活させるとしています。
こうなると、線路移設費のほかに新駅を開設する費用も必要になります。近鉄と県の間で負担割合の細部までは決まっておらず、実現に向けた道はまだまだ長そうです。
ただし両者は線路の移設については合意しており、2040~60年頃までに工事を完了させると発表しています。最短でも約20年かかる壮大な計画です。
平城京が都として機能していたのは、長く見積もっても70年ほどです。対して、近鉄が線路を敷いてから100年以上が経過しました。平城宮は日本が世界に誇る遺産ですが、そこを横切る近鉄の線路と踏切も、歴史遺産と呼ぶには十分な歳月を積み重ねています。
【了】
Writer: 小川裕夫(フリーランスライター・カメラマン)
フリーランスライター・カメラマン。1977年、静岡市生まれ。行政誌編集者を経てフリーに。官邸で実施される首相会見には、唯一のフリーランスカメラマンとしても参加。著書『踏切天国』(秀和システム)、『渋沢栄一と鉄道』(天夢人)、『東京王』(ぶんか社)、『私鉄特急の謎』(イースト新書Q)など。
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