激戦を生き抜いた“強運”艦「雪風」竣工-1940.1.20 不沈艦の錨はいまも江田島に

戦争賠償艦として中華民国へ

「雪風」の装備の変遷を見るだけでも、戦いの様相が戦争の進展とともに変化したことがわかります。たとえば、竣工時に艦対艦の戦闘を想定して設置された主砲は、1943(昭和18)年に後部のものが撤去され、替わりに対空機銃が増設されました。ほかにも、当時最新だったレーダー(電探)が導入されています。

 1945(昭和20)年8月、太平洋戦争が終わると「雪風」は、復員兵の輸送船に姿を変えました。日本人を本土に戻すためにパプアニューギニアのラバウルや満州(中国東北部)などへ赴き、計1万人あまりを帰還させています。その間には、台風で遭難した車両渡船「第六青函丸」を曳航、救助したこともありました。

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連合軍に接収後の1947年5月に撮影された「雪風」。この後、戦争賠償艦として中華民国に渡り、「丹陽」に改名される(画像:アメリカ海軍)。

 こうして戦後も働き続けた「雪風」でしたが、1947(昭和22)年7月に、戦争賠償艦として当時の中華民国に引き渡されます。中国軍艦として艦名を「丹陽(タンヤン)」に改めたのち、中華人民共和国と中華民国との国共内戦でも用いられ、1958(昭和33)年8月には中国共産党の軍艦とも交戦しています。

「雪風」は1965(昭和40)年12月16日に退役。そののち解体され、1971(昭和46)年12月8日に舵輪と錨が日本に返還されました。これらは広島県江田島の海上自衛隊第1術科学校に展示されています。なおスクリューも、台湾の左営にある中華民国海軍軍官学校に展示されているそうです。

【了】

【写真】戦艦「大和」を護衛する「雪風」ほか、返還された錨

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