オトコの作業着です!「セーラー服」200年経ってもなお健在 女性のイメージついたワケは?
欧米から日本に来たセーラー服文化
セーラー服が1830年代に登場した当初、この襟は丸かったそうです。では今のように四角くなった理由は、そのほうが生地の裁断が容易なのと、水兵が自分で繕い直すときに手間がかからないためだといわれます。そして、襟には白線が付けられ、飾りのスカーフも加わって、しだいに現在の形になっていきました。
制服のそのほかの部分に目を移すと、イギリス海軍やアメリカ海軍では、初期の帽子はツバのある、いわゆる「ハット」でしたが、これは国によって形はまちまちで、現在のようなツバのない帽子はロシアが最初だとのこと。また、ズボンの裾は作業をするときに巻き上げやすいよう広いベルボトムでした。
19世紀の後半になるとセーラー服はアメリカやヨーロッパ以外の海軍でも採用されていきます。その後、日本にも伝わり、明治維新間もない1879(明治8)年に、「水火夫服」として正式に規定されています。
旧日本海軍の水兵を撮影した写真を見ると、帽子に文字が書かれた帯が巻かれているのをよく目にします。これは「ペンネント」と呼ばれる鉢巻きで、水兵の軍艦の名前や所属する海兵団の名称が書かれています。しかし、これでは敵国側にも所属がわかってしまうということで、太平洋戦争が始まった後の1942(昭和17)年、表記が「大日本帝国海軍」に統一されました。
こうして進化を続けてきた海軍のセーラー服、すでに誕生から200年近く経ち国によって細かい部分のデザインは異なるようになったものの、四角い広襟、Vネック、スカーフ、鍔のない丸帽といった基本形状はいまも変わっておらず、一目で水兵とわかるスタイルが守られています。
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