ヨコスカの「ミッドウェー」退役から30年 日本に初めて配備された米ご長寿空母の生涯

消極的な海軍を一変させた大統領の建造要求

 3つの設計案の中で、203mm砲を備え、基準排水量4万4500トンの設計案が最も将来性があるとして評価されます。しかし、同時に現場部隊(艦隊)側から「エセックス級の性能で満足しており、装甲空母の必要性はない」という意見が出たほか、海軍上層部も「装甲空母を検討する場合でも、過大な排水量を持たせないこと」という指示を出しました。

 翌1941(昭和16)年に入ると、アメリカは設計面などでイギリス海軍の全面協力を得るとともに、地中海で損傷した「イラストリアス」を自国で修理するさいに被害検証を行うなどして、設計案をブラッシュアップさせます。

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朝鮮戦争中、1952年9月時点の空母「ミッドウェー」(画像:アメリカ海軍)。

 しかし、エセックス級と同程度の2万8600トンの設計案は、搭載機数64機が過小であるとして認められず、一方で大型の4万5000トンの設計案は建造コストが高いうえに、同じ予算でエセックス級を建造したときより、搭載可能な航空機数が減るため、費用対効果で劣ると判断されてしまいます。

 ほかにも、飛行甲板の高さが下がるので、悪天候時の航空作戦で不利といった点や、装甲エレベーターの昇降速度が遅い、イギリス空母「イラストリアス」程度の装甲防御力では、状況によっては454kg徹甲爆弾によって飛行甲板を貫通されてしまうため、エセックス級と比べたときに優位点が認められないなどが指摘され、結局、アメリカ海軍では装甲空母に関して「試案」扱いに留められそうになりました。

 海軍としては、太平洋戦争が始まっても、最前線での戦訓から大型空母の致命傷は爆撃ではなく、雷撃が原因だと見なしていたことから、飛行甲板の装甲化は不要だと考えたのです。

 しかし当時のルーズベルト大統領は「海軍航空兵力の拡充が勝利の鍵」という考えから、1942(昭和17)年8月に装甲空母4隻の建造を海軍に要求しました。

【人文字で「サヨナラ」】横須賀に配置されていた頃の「ミッドウェー」

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