正義貫いた方が痛い目見た 沈めた船の生存者めぐり大問題に「ラコニア号事件」の顛末
責任は全て敗戦国にあり
一方、ドイツ海軍は第1次世界大戦の敗北で大幅に縮小され、ナチス政権が成立してからスタートした軍備拡充計画が整わないうちに第2次世界大戦へ突入しています。開戦後、脆弱な海軍に業を煮やしたヒトラーは、海軍など無用とののしる始末。こういった流れから海軍士官にはナチスと距離を置く気風があり、ハーグ条約を守る艦長も少なくなかったのです。つまり、ヒトラーに対する忠誠心において、海軍は陸軍や空軍と温度差があったといえるでしょう。
なお、ヒトラーの不興を買って辞任したレーダー元帥に代わり、デーニッツが海軍総司令官になったのは「ラコニア」号事件から4か月後の1943(昭和18)年1月30日でした。
ちなみに、「ラコニア」号事件の“当事者”であるドイツ潜水艦U-156は、同年3月8日に西インド諸島バルバドス沖でアメリカの哨戒機に沈められ、艦長のハルシュタイン少佐ほか多くが戦死しましたが、生存者11名がアメリカ海軍の駆逐艦に救出されています。
レーダー元帥に代わり、新たに海軍総司令官になったデーニッツは潜水艦作戦を主力にしますが、連合軍に追い詰められます。大戦後期のドイツ潜水艦では、新兵が作戦に出てからの平均寿命が約2か月といわれていました。そんな苛酷な戦況の中、ドイツ海軍では「ラコニア命令」の後も独自の判断で生存者を救出する艦長もいましたが、デーニッツはそれを黙認しています。
デーニッツ自身は熱心なナチス信者でしたが、権謀術数とは無縁でした。そのため、ヒトラーから後任に指名され、終戦処理をしています。とはいえ、戦後にナチス首脳の戦争犯罪を裁くために開かれたニュルベンルク裁判で、デーニッツはラコニア命令を根拠に訴追され、懲役10年の判決を受けています。
第2次世界大戦ではアメリカの潜水艦も日本の輸送船を無警告で沈め、時には浮上して生存者を銃撃するなど多くの乗組員や民間人が犠牲になっています。旧日本海軍では1944(昭和19)年3月に重巡「利根」が撃沈したイギリス商船の生存者の一部を、南西方面艦隊司令部の命令で処刑した、いわゆる「ビハール号事件」を起こしており、それが基で指揮官がイギリス軍の戦犯裁判で有罪になっています。
どの国もまともにハーグ条約を守らなかったのに、裁くのは戦勝国なのです。まさに「勝てば官軍」であり、勝者と敗者の歴然たる格差を垣間見ることができる、ラコニア号事件はその代表例だといえるでしょう。
【了】
Writer: 時実雅信(軍事ライター、編集者、翻訳家)
軍事雑誌や書籍の編集。日本海軍、欧米海軍の艦艇や軍用機、戦史の記事を執筆するとともに、ニュートン・ミリタリーシリーズで、アメリカ空軍戦闘機。F-22ラプター、F-35ライトニングⅡの翻訳本がある。
ちょうど今、現在進行形で戦争犯罪をやっても勝てば罪に問われないと戦争犯罪やってる国がありますよね。
・U-156の生存者は11名とあるが実際は生存者なし(撃沈直後生存者がいたが救助は成功しなかった)
・デーニッツはラコニア命令に関しては無罪となっており、有罪はまた別の理由である