【懐かしの私鉄写真】「神奈川県のチベット」に東急電車が走った 田園都市線 長津田延伸の日 周囲は原野

東京のベッドタウンとして発展し、いまや多くの沿線人口を抱える東急田園都市線ですが、溝の口~長津田間の開業当時は、造成が始まったばかりの“原野”を2~4両編成の電車が往来する路線でした。

この記事の目次

・開業当日は雨… 駅舎の表記は「溝ノ口」のままだった
・翌日、改めて延伸開業区間に乗る
・いまやマンションが林立するベッドタウンも…
・終点の長津田駅へ 国鉄横浜線は単線

【画像枚数】全28点

開業当日は雨… 駅舎の表記は「溝ノ口」のままだった

 2022年現在、東急電鉄では最長の路線となっている田園都市線は、大井町線を延長する形で1966(昭和41)年4月1日に溝の口~長津田間14.2kmが開通しました。大井町線は長津田延長を見越し、1963(昭和38)年10月11日に早々と「田園都市線」に改称されています。

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多摩川を渡る東急田園都市線。1966年3月19日に上野毛~高津間の改良工事が完了し、二子橋の併用軌道は廃止された。右側の二子橋にはまだ架線柱が残っている(二子玉川園/1966年3月27日、楠居利彦撮影)。

 開通当日は金曜日、溝の口で午前10時頃からテープカットが行われ、私は反対側のホームで人垣の頭越しにノーファインダーでカメラを構えました。おまけに小雨がパラつく天気なので露出も稼げず、ブレと粒子の荒れが重なった写真ですが、開通式の雰囲気は感じ取れると思います。

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開通日の溝の口駅。この年の1月20日に駅名表記が「溝の口」となったが、建物の表示はまだ「溝ノ口」のままになっている(溝の口/1966年4月1日、楠居利彦撮影)。
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テープカットを待つばかりのホーム。報道陣が待ち構えている(溝の口/1966年4月1日、楠居利彦撮影)。
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テープをカットしたのは2人。1人は東急電鉄の社長だろう(溝の口/1966年4月1日、楠居利彦撮影)。

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Writer: 楠居利彦(鉄道ライター)

1946年、東京生まれ。中央線の沿線で育ったので、鉄道は複線で電化され、長編成の電車が頻繁に走るものと認識している。鉄道誌の創刊に関わり、車両データ本の編集を担当した。趣味は鉄道模型製作。

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