東急=総延長320km!? 五島慶太が築いた「大東急」時代のすご~い路線図を振り返る

戦時中、東京圏の南半分が東急の路線だった時代がありました。通称「大東急」時代です。広範囲に及ぶ路線網を持つまでにどのような動きがあったのでしょうか。そしていつ、なぜ大東急は終焉したのでしょうか。

京王電気軌道は最後まで抵抗するも五島を前に…

 続いて五島は京浜電気鉄道(現・京急)、小田急、京王電気軌道(現・京王)に手を伸ばしていきます。京急は1939年、「地下鉄の父」こと早川徳次が創業した東京地下鉄道を乗っ取る過程で株式の過半数を取得(敵対的買収)していましたが、1941年11月に五島が社長に就任します。

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1940年ごろの五島慶太(画像:『東京横浜電鉄沿革史』)。

 小田急は1941年9月、引退する創業者・利光鶴松が後継者に五島を指名したことで、後任の社長に就任します。そして1942年5月、東京横浜電鉄は京浜電気鉄道、小田急電鉄を合併し、社名を「東京急行電鉄」と改めました。

 最後まで抵抗したのが京王です。東急はエリアに唯一残った京王の統合を狙いますが、自主独立の気概がある京王はこれに抵抗します。最終的に五島の説得で京王の株主が折れ、1944(昭和19)年5月、東急に合併。ここに総延長約320kmにも及ぶ「大東急」が完成します。

 大東急の路線図を改めて見るとそのスケールの大きさに驚かされます。いくつかの路線をピックアップして見てみましょう。

 まずは新宿です。新宿には小田急、少し離れた新宿三丁目付近に京王のターミナルがありました(1945年7月に現在の位置へ移転)。京王は大正初期に開業した古い路線なので併用軌道の区間があり、車両も最大2両で新宿~八王子間に1時間8分を要していました。

 一方、1927(昭和2)年開業の小田急は近代的な設備を備えており、稲田登戸(現・向ヶ丘遊園)までは近郊電車として通勤輸送を、それより先は新宿と町田、厚木、小田原、藤沢などを結ぶ都市間輸送を担っていました。ちなみに新宿~小田原間は急行で1時間45分と、現在より駅が少なく待避が無かった時代とはいえ遜色ないのは驚きです。

 ちなみに代名詞「ロマンスカー」のルーツともいえる、新宿から小田原までノンストップ1時間半で結ぶ「週末温泉列車」が1936年から運行されていましたが、戦争の煽りを受け大東急誕生の直前に廃止されてしまいました。

【路線図】「大東急」時代の運行範囲

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コメント

2件のコメント

  1. 大東急の名残り:

    東急と小田急の車内アナウンスが同じ

    東急グループと京急グループのキャッチコピー表記が似ている

    下北沢駅に乗り換え改札が無い

    • 余所から失礼しますが、下北沢の中間改札無しは小田急の地下化で独立してます。

      が以前スルーだったのは井の頭線が元々は小田急の傍系で、今なら京成と新京成に近い関係だったからです。

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