“鉄道の後始末”続くニュータウン 桃花台のピーチライナーなぜ15年で廃止 地域は呪縛から解放?

鉄道失敗の原因は「小牧線の接続問題」だけではなかった!

 ピーチライナーが伸び悩んだ最大の要因は、やはり桃花台ニュータウンの人口の伸び悩みでしょう。1971(昭和46)年の計画発表当初、5.4万人と見込まれていた人口は、オイルショックの影響をもろに受けて1978(昭和53)年には4.7万人、1983(昭和58)年には4万人と計画を縮小、実際には最盛期でも2.8万人ほどに留まりました。

 このためピーチライナーは桃花台から名古屋市内への移動シェアを獲得できず、1日約3万人が利用するという当初見込みに対し2000~3000人ほど。低迷の原因は、決して人口だけではなく、「名古屋市内と直接つながっていなかった」「そもそも団地をほとんどカバーしていなかった」ことが挙げられます。

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桃花台西駅はまだ手付かずで残っている(宮武和多哉撮影)。

 小牧駅で接続する名鉄小牧線は、地下鉄上飯田線と直通する現在と違って、終点の上飯田駅から地下鉄名城線の平安通駅まで800mの徒歩連絡が必要でした。この問題は通勤手段として鉄道が選ばれないだけでなく、居住地として桃花台が選ばれない遠因ともなりました。

 またニュータウンは約300ヘクタールと広大であるにもかかわらず、ピーチライナーでカバーされていたのは一部地域のみ。ニュータウン内は駅から離れた場所も多く、起伏もあり、桃花台の住民のうち鉄道を利用していたのは、わずか6%ほど。国道155号に近い地域の人々を中心に、マイカーの利用率が極めて高くなっていきました。

【地図/写真】現役時代のピーチライナー 特殊な線形もくっきり地図に

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コメント

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3件のコメント

  1. 元々高蔵寺まで延伸する予定が中止になった事も一因ですね。
    高蔵寺まで延伸すれば、桃花台→高蔵寺→名古屋となり乗り換え1回で名古屋に行けたはず。

    利用者減による値上げが一番大きな要因だと思います。
    たった15分に380円も払えません。

  2. ピーチライナーはすべてが中途半端で結果として誰からも望まれていなかったように思えます。
    もし仮にピーチライナーが普通のヘビーレール路線として高蔵寺駅まで建設され、名鉄犬山線の小牧支線を廃止せずに残していれば
    直通運転で岡崎~高蔵寺~小牧~岩倉~一宮という愛知大環状線が実現して武蔵野線的ポジションを得られたことでしょうが
    これは夢のまた夢でしょうね (こうなった場合は城北線~あおなみ線~南方貨物線の存在意義がなくなりますが)

  3. 春日井市への乗り入れに反対した小牧市商店街は滅ぶべき