鉄道開通時は“海” 新橋~品川間はどう変わった? 浜松町&田町 発展支えた「貨物線」とは

新橋から横浜を結んだ日本初の鉄道が開通し、今年で150年を迎えました。旧新橋駅や「高輪築堤」などが所在する地元の東京都港区で70年以上にわたり鉄道の発展を見てきた筆者が周辺の変遷を紹介します。第二回は、浜松町・田町エリアです。

山手と埋立地の境界「田町」は“学園駅”として発展

 浜松町と同じ時期に開業した田町駅も同様に、駅の東西で風景は異なっていました。東側は、東京港の整備や工場・倉庫の用地確保の意味から埋立が進んだところで、筆者もこのエリアで生まれました。その後駅前に東京工業大学の付属高校と芝浦工業大学も開校しています。他方、西側には慶応義塾大学はじめ、女子大学や高校が点在するなど、田町は“学園駅”として発展してきました。

 そんな田町エリアは1900年後半からオフィスビルが盛んに立ち、かつて都電(後に都バス)の修理工場があった芝浦アイランドには複数の高層マンションができるなど、街並みが一変しています。国道15号の下を走る都営地下鉄浅草線を介し、羽田・成田空港の両空港が連絡すると外国人在住者も見かけるようになり、地元の国際化に驚いています。

 田町駅の南側には、東京駅から最初に鉄道の上を通過する跨線橋、札の辻跨線橋(1933〈昭和8〉年竣工)が存在します。筆者は中学校の登下校でこの橋を通りながら、下を通過するブルートレインや、東海道新幹線の工事を眺めていました。

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札の辻橋から高輪方面を望む。再開発が進む高輪ゲートウェイ駅周辺はクレーンが林立(画像:東京都立産業技術高等専門学校 鉄道研究会)。

 初代の札の辻橋は隅田川に掛かる橋梁のようなアーチ型でしたが、2004(平成16)年に建て替えられ、新幹線車両基地との連絡線や貨物支線(今後の羽田空港アクセス線用)の対応ために橋梁の改良も併せて行われています。橋を境に鉄道も道路も風景が変わるので、ぜひ立ち寄っていただきたいスポットです。この近くにある筆者の自宅近くでは、早朝から地上を走る新幹線と在来線の走行だけでなく、地下を走る横須賀線の通過音もわずかに伝わってきます。

※取材協力:東京都立産業技術高等専門学校 鉄道研究会 亀田知典、高橋広旭

【了】

※一部修正しました(12月7日10時38分)。

【地図/写真】ホントに「海」だった浜松町~田町

Writer:

東京都出身。マーケテイングや企画分野の勤務を経て自動車ジャーナリストに。全国や海外を取材する関係もあり、旅行や航空、船舶分野も扱うように。その基本となるのがDESIGNにて、それぞれの開発ストーリーやトレンドを紹介する“ツーリズム・デザイン”が日々の活動テーマとなっています。

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