渋谷~原宿は「乗務員泣かせ」の難所だった 昔の山手貨物線 「絶対に煙を出すな」区間

最後に宮廷ホームを使われたのはいつ?

 昭和天皇は、お召列車で全国を回る際や御用邸への往復に、この原宿駅宮廷ホームを数多く利用されています。戦前の例では、お召列車が東北本線、高崎線、中央本線へと向かう際は原宿駅を、東海道本線、常磐線へと向かう際は東京駅を発着。常磐線利用の場合に東京駅発着としたのは、原宿駅発着だと山手貨物線経由となり田端操車場でスイッチバックする必要が生じてしまい、それを敬遠したためと思われます。戦後では、葉山御用邸へ向かうための横須賀線利用の際は原宿駅発着となっています。

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山手線の原宿駅ホームから望む宮廷ホーム。2020年頃からホーム周辺にフェンスが設置された(2022年11月、内田宗治撮影)。

 昭和天皇は特に昭和30年代後半以降、原宿駅の発着が多くなり、1961(昭和36)年から1986(昭和61)年までは毎年10回以上、最も多い1981(昭和56)年では20回も利用されています。この時代に山手線の原宿~代々木間を頻繁に利用していた方なら、天皇が乗降する場面ではなくても宮廷ホームや周辺線路に警備員が数名立ち、発着の準備をしているのを車窓から見たことがあるのではないでしょうか。

 昭和天皇は崩御前年の1988(昭和63)年まで、宮廷ホーム発着のお召列車に乗車されています。しかしその後ホームは2001(平成13)年を最後に利用されていません。現在はホーム前の線路に背の高い草木が生え、上屋のペンキも一部がはげたままで、やや荒れた印象も受けます。

 こうした様子を見ると、もし今後も利用されないのなら、同地に一般の方が見学できその歴史を知ることができる「お召列車記念館」のようなものができればと、僭越ながら思えてしまいます。

【了】

【写真】場末感のある渋谷付近を行くD51形

Writer: 内田宗治(フリーライター)

フリーライター。地形散歩ライター。実業之日本社で旅行ガイドシリーズの編集長などを経てフリーに。散歩、鉄道、インバウンド、自然災害などのテーマで主に執筆。著書に『関東大震災と鉄道』(ちくま文庫)、『地形で解ける!東京の街の秘密50』(実業之日本社)、『外国人が見た日本 「誤解」と「再発見」の観光150年史』(中公新書)』ほか多数。

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