東急池上線沿いに謎の“踏切レプリカ” 住宅街に佇む歴史の語り部 本物じゃないのはわざと?
東急池上線の旗の台~戸越銀座間を歩いていると、公園の脇に踏切警報機のレプリカが見られます。公園内にレールが保存されているところも。これらは付近を走る池上線の歴史を物語るものですが、都会的なオブジェともいえそうです。
旗の台~戸越銀座の公園で見られる
東急池上線の沿線を歩いていると、突如として住宅地で「踏切警報機のレプリカ」を見かけることがあります。付近には池上線が通っていますが、立体交差になっており“本物の踏切”はありません。なぜ、わざわざレプリカが置かれているのでしょうか。
池上線はしばしば「都心のローカル線」とも呼ばれ、昔ながらの街なかを3両編成の電車が行き来しています。しかし区間によっては、かつての東急新玉川線(現・東急田園都市線の二子玉川~渋谷)よりも早い段階から立体交差(地下)化に取り組んできました。つまり地下化によって廃止された踏切が、少なからず存在するのです。
最初は1968(昭和43)年。環状7号線との立体交差が完成すると、長原駅(東京都大田区)が地下化されました。その後も事業は進められ、1989(平成元)年には旗の台駅(同・品川区)から戸越銀座駅(同)の手前までが地下化されました。
これにより13か所の踏切が廃止されると、地上の線路跡などに生まれた空間は公園として整備されました。その公園のうち、公道が交わる地点に踏切警報機のレプリカが立っているのです。
立体交差化事業によって踏切が廃止される例は全国にあります。そして警報機など一部の設備が、地域住民によって保存されるケースもありますが、池上線では一目でレプリカと分かるものに取り替えられています。
これは交通過多な東京という事情もあるでしょう。本物の踏切設備を設置しては、誤認によりあらぬ事故が起きる可能性もあります。一方で歴史も残したい。あえて即座にレプリカと判別できる警報機を立てているのでしょう。ちなみに一部の公園には、往時の面影を伝えるレールが残されている場所もあります。
同区間が地下化されてから30年以上が経過し、池上線が地上線だった時代を知る人も少なくなりつつあります。レプリカとはいえ公園に佇む警報器は、同線の歴史を伝える語り部といえるのかもしれません。
【了】
Writer: 小川裕夫(フリーランスライター・カメラマン)
フリーランスライター・カメラマン。1977年、静岡市生まれ。行政誌編集者を経てフリーに。官邸で実施される首相会見には、唯一のフリーランスカメラマンとしても参加。著書『踏切天国』(秀和システム)、『渋沢栄一と鉄道』(天夢人)、『東京王』(ぶんか社)、『私鉄特急の謎』(イースト新書Q)など。
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