なぜ鶴見駅に東海道線が停まらなくなったのか 150年の日本最古級駅「せめて相鉄直通を…」
なぜ鶴見は東海道線の通過駅になったのか
なぜ京浜東北線(と鶴見線)の電車しか停車しないのか――その理由は明示されていませんが、長距離列車と短距離列車の役割分担だと思われます。その背景には、ライバルの京浜電気鉄道がありました。
京浜電気鉄道は1899(明治32)年1月に六郷橋~大師間で運行を開始しました。開業時の社名は大師電気鉄道で、4月に社名変更しています。その後、南北に延伸を進めて、1905(明治38)年に品川(八ツ山橋)~神奈川間が全通。品川で東京市電に、神奈川で横浜電気鉄道に接続します。これで東京~横浜間の電車移動が可能になりました。JRの前身、官営鉄道にとって競合路線が誕生したわけです。
対抗策は高速化です。1914(大正3)年12月に新橋と上野を結ぶ計画の高架線路を建設して東京駅を開業したとき、あわせて東海道本線を複々線化、東京~高島町(後に横浜駅へ統合)間の電車運転を始めました。愛称は京浜線。のちの京浜東北線です。ところが京浜線は車両のトラブルが相次ぎ、12月26日に運行を休止します。運転再開は翌年の5月10日でした。
この複々線化において、従来の線路を京浜線が使い、新たな複線を東海道本線が使いました。プラットホームがあるのは従来の東海道本線側、つまり京浜線側です。そして鉄道省は、京浜線が桜木町まで直通運転する1915(大正4)年12月30日に以下の告示をしています。
●大正四年十二月十五附公告
東京櫻木町間直通運転開始 十二月三十日ヨリ東京櫻木町間電車直通運転開始シ同時ニ列車一部廃止時刻変更其他左記ノ通リ改定致候
一)東京櫻木町間直通列車及横濱櫻木町間ノ列車ヲ廃止シ併テ東京横濱間列車ノ時刻一部変更致候
二)蒲田、川崎、鶴見、東神奈川ニ汽車ハ停車致サス候
京浜線を「電車」、東海道本線を「汽車」と表記しています。京浜線で電車を運転する代わりに、東京~横浜間の直通列車(汽車)と横浜~桜木町間の汽車を廃止。さらに汽車は、蒲田、川崎、鶴見、東神奈川に停車しないと明記されました。
>地下駅を設ければ貨物線の機能は維持できますが、費用がかさむこと必至です。ならば高架ホームとしたいところ
1)地下駅を設けるには駅北側の鶴見川の橋の南から地下線を作るのか、川崎駅以南で降下を始め鶴見川をトンネルでくぐるのかの問題がある。
2)高架駅化するには南側の鶴見線だけなく北側に品鶴線(鶴見川北詰)と南部貨物線(京急八丁畷駅西側)のオーバークロスをどうするのかの問題もある。
通過する東海道線だけを地下化(駅を設けないことが前提)して、空いた土地を活用して高架化やホーム増設したほうが良いかなと思いますよ。
地下化は駅を設けるか否かで建設費に大きな差が出ますので。
無難なのは、鶴見川手前の横須賀線・品鶴線が分岐するあたりから花月園総持寺あたりまでの区間の東海道線の地下化。
理由として、この区間には踏切がないのとJRの敷地が広いため。
そうすれば、東海道線の複線分の約7メートルの敷地が出来ます。
それと同時に鶴見駅構内の貨物中線3線の1線化。
ここで、機関車の機廻しが実際定期的に行われていますが、3線フルに使用されているのは見たことがありません。
そうすることにより、蒲田や桜木町のように2面3線の島式ホームの設置が可能になると思います。
中線1線設置すれば、貨物列車の機廻しは今まで通り可能ですし、埼京線相鉄直通線にトラブルが発生しても鶴見折り返しが可能です。
設置するホームを15輛対応にすれば、横須賀線横浜以南のトラブル時に総武快速線の折返しに使えます。
横浜市鶴見区鶴見中央にあるCIAL鶴見に行くことは乃木坂46の「インフルエンサー」で聴いたらそれは川村あんなさんに伊藤えみさんです。