隣県より“遥か彼方の東京”の方が早く… 50年で遠くなった都市間鉄道ランキング
ローカル線でも所要時間が延びている
またローカル線を見ても、只見線(会津若松~小出)で50年前には急行「奥只見」が3時間16分で走破していたのに対し、2023年では最短の普通列車でも4時間26分かかっています。同様の状況は数多くのローカル線で見られます。
もちろんこの50年間、東北・上越・北陸・山陽(岡山~博多)・九州・西九州新幹線などの開業により、飛躍的に所要時間が短くなった都市間も多数あります。また在来線でも、例えば新宿~松本間は50年前の所要3時間39分が、2023年では最短2時間29分にまで短縮されています。
にもかかわらず上記のように遅くなった例が多数あるのは、急行列車の廃止や列車系統の変化のほか、特にローカル線の線路状態が悪く速度制限区間が長くなったり、無人駅が増えたことで1人乗務の運転士がきっぷの精算などをしなければならず、停車時間が長くなったりしたことも挙げられます。
ざっくりといえば、JR(国鉄)はこの50年間、「大都市圏内輸送」と「長距離大量高速輸送」に力を入れ、地方都市間やローカル線内輸送には消極策で臨んだ結果です。
所要時間が延びた例が、これだけ各地で見られるという実態を踏まえると、地域によってはスピード改善、本数増など利便性をアップすることで、鉄道復権の可能性のある地域・区間も存在することを示唆しているといえましょう。
JR西が「West Express 銀河」で京都-新宮間にイベント車両を走らせているが、
なぜ、紀伊勝浦発・京都行(4位:津~大津)と繋いで一筆書きに循環させないのか、理解に苦しむ。
何故ならこの地域は伊勢と熊野古道を繋ぐことで
古代より奈良・京都とは一面の歴史・文化圏を構成しているからだ。
「古事記ゆかり地マップ」奈良県
ttps://www.pref.nara.jp/miryoku/narakikimanyo/yukaritimap/
「みえ歴史街道」
ttps://www.bunka.pref.mie.lg.jp/kaidou/rekisi/index.htm
また、『平家物語』において清盛は京都から津に至り、安濃津の港から船で熊野詣でへと漕ぎ出す。
そして清盛の父、伊勢平氏である忠盛は津市の西域に権勢を張った。また津市内には塚原卜伝の居宅跡や
縁の寺なども残っている。
因みに国道一号線の終点として知られる
大阪・梅田新道にある道路元標では、R165、R163の終点が三重県津市となっており、
盲腸線として一部で知られる大赤字非電化路線のJR名松線(JR東海)も津市内にある。
ttps://www.city.osaka.lg.jp/kensetsu/page/0000009908.html
ttps://mainichi.jp/articles/20210730/ddf/012/040/010000c
ここは、信長以前、南朝派であった伊勢国司、北畠氏や陰流剣祖愛洲氏の居城があった付近で、
奈良の曽爾(そに)高原の山を隔てた東側にあたる。さらに神話に遡れば、曽爾や宇陀、御杖と
云った地域は、アマテラスが都から伊勢への旅を始める始点(大和-信楽-美濃-伊勢路)となる。
そして鉄道以前、明治天皇の御所からの伊勢巡幸も、
中世に途絶えた斎宮群行経路に則り、関西本線の亀山市付近で分岐する伊勢別街道を南下している。
つまり、そもそもここは名松線も含め、鉄道ファンに知られた単なるローカル鉄路の支線などではない。
関西から三重には近鉄や有料道路が一般的だ。しかし新幹線が走っている訳でもないのに
特急や急行が全くないというのは、どう考えてもJRの長年に亘る営業放棄としか考えようがない。
複線や新幹線を敷設せず、文学史、歴史的繋がりや街道の掘り起しもなく、輸送係数を持ち出して
経営難を訴えても説得力に乏しい。
鉄道記事の範疇でJRの無能を提起することは難しいかもしれないが、
こうした問題は、都府県堺駅や境界駅など日本全国にある。高々150年の歴史しか持たない鉄路や
分社化されたJRの事情で、地域が受け継いできた文化遺産や街道を寸断することがないよう、
鉄道記者も「鉄道以外の」社会に目を向けてもらいたい。長文ご容赦。
逆ですよ。高速道路ができたり高速バスが主力になったりで急行がいらなくなったんですよ。
奥羽新幹線(新庄〜大曲)は開業するのでしょうか…
秋田県横手・湯沢へは普通列車しかない…