日本初の鉄道はなぜ「新橋」からだったか 初代新橋駅に汐留の地が選ばれた理由

なぜ汐留の地に初代駅を設けたのか

 この時、高架線路に新設された烏森駅が、現在の新橋駅にあたります。また新たなターミナルとして、東京駅が1914(大正3)年に開業します。この時点で新橋駅はターミナルとしての役目を終えて、土地名である汐留(貨物)駅となり、烏森駅が2代目の新橋駅へと改称しました。

 ではなぜ、初代新橋駅は汐留に設けられたのか――それはうってつけの土地があったからでした。

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「汐留シオサイト」内旧新橋停車場の前にある案内板地図からは、新旧の新橋駅の位置と、汐留川だった名残が確認できる。高架線路は市街地を貫いて建設された(2022年12月、吉永陽一撮影)。

 現在、旧新橋駅の北側には、「東京高速道路」(通称KK線)という高架道路が通っていますが、ここには江戸時代から1950年代まで汐留川が流れていました。汐留川北側の銀座、西側の烏森は既に街が形成された密集地でしたが、汐留川南側と浜離宮恩賜庭園の間には、旧大名屋敷跡の広大な土地が残されていたのです。

 汐留は江戸時代初期まで「江戸前島」と呼ばれた砂洲で、江戸城のすぐ近く、日比谷まで入江となっていました。江戸城から目と鼻の先が海だったのです。やがて江戸時代に埋立事業が行われ、江戸前島の先端には大名屋敷が造成され、龍野藩邸、仙台藩邸、会津藩邸が南北に連なった大名屋敷地帯となりました。しかしこれらの屋敷は明治維新により解体、跡には広い敷地が残されたのです。

 加えて土地が平坦、東京の中心地に近いなど、汐留は駅を設けるのには適切でした。なお、駅名は汐留川に架かる東海道の「新橋」から命名されました。

 一帯は1986(昭和61)年の汐留貨物駅廃止に伴い再開発され、現在は「汐留シオサイト」を構成する高層ビル群が聳え立っています。その麓部分に見える古風な洋館が、復元された旧新橋停車場です。アメリカ人の建築家ブリジェンスが設計した駅舎を再現したものです。

【写真】初代新橋駅と、建設中の烏森(現・JR新橋)駅

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