日本初の鉄道はなぜ「新橋」からだったか 初代新橋駅に汐留の地が選ばれた理由

藩邸の基礎に築かれていた駅舎

 プラットホームの調査では基礎の一部が凹んでおり、さらに下方に埋められた部分を調査すると、龍野藩邸と仙台藩邸の石垣が発見され、その境界線にあった小さな堀部分が凹んだ基礎と合致しました。堀を埋めた土の上に重量物のプラットホームが造られ、重さによって一部が凹んだことになります。残念ながらこの部分は高層ビルとなったようですが、港区教育委員会が詳細に記録保存しています。

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正面玄関前の下を見ると、発掘調査で奇跡的に現れた入口の階段ステップがそのままの形で保存されている。この階段を踏んで多くの人々が“陸蒸気”に乗車した(2022年12月、吉永陽一撮影)。

 駅舎の基礎が発見されたことで、正確に寸法を割り出し、2003(平成15)年にJR東日本文化財団が駅舎を復元しました。復元作業では伊豆斑石の代わりに札幌軟石を使用し、古写真と基礎の寸法を分析して、現代の建築基準に則しながら行われました。東京駅丸の内駅舎とは異なり、復元ではあるものの一から造り上げる新築工事でした。発掘調査があったからこそ、土の中に眠っていた遺構が地層の如く折り重なって発見され、江戸時代の歴史だけでなく鉄道開業時の全容も掴めていったのです。

 現在は要所で基礎の部分を観察でき、駅舎内では出土品も展示されています。また復元されたプラットホームの傍らには、開業時からしばらく使用された双頭レールがモニュメントとなっており、これは都心でいつでも見られる明治初期の線路設備です。

 復元駅舎は銀座からもすぐの距離。少し時間があれば足を延ばして、鉄道開業の頃の息吹を感じるのも良いでしょう。

【了】

【写真】初代新橋駅と、建設中の烏森(現・JR新橋)駅

Writer: 吉永陽一(写真作家)

1977年、東京都生まれ。大阪芸術大学写真学科卒業後、建築模型製作会社スタッフを経て空撮会社へ。フリーランスとして空撮のキャリアを積む。10数年前から長年の憧れであった鉄道空撮に取り組み、2011年の初個展「空鉄(そらてつ)」を皮切りに、個展や書籍などで数々の空撮鉄道写真を発表。「空鉄」で注目を集め、鉄道空撮はライフワークとしている。空撮はもとより旅や鉄道などの紀行取材も行い、陸空で活躍。

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