三式戦闘機「飛燕」茨城で蘇る 実機買ったけどあえて「レプリカつくろう」依頼人の思い

液冷式エンジン搭載で「和製メッサー」なる異名も

 このように日本立体で原寸模型として再現中の三式戦闘機「飛燕」ですが、実機を振り返ってみましょう。

 同機は、第2次世界大戦中に川崎航空機(現川崎重工)が開発・生産した単発エンジンの1人乗り戦闘機です。当初はスピード重視の重戦闘機として計画されたものの、後に軽戦闘機や重戦闘機のカテゴリーを越えて万能に使える中戦闘機へと改められ、1943(昭和18)年に制式化されました。実際の量産はその前年、1942(昭和17)年から始まっていましたが、この型式番号のズレは同年に制式化された二式単座戦闘機「鍾馗」や二式複座戦闘機「屠龍」と区別をつけるためだという説もあります。

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日本の三式戦闘機「飛燕」(上)、ドイツのメッサーシュミットBf-109E-3型戦闘機(下左)、イタリアのマッキMC.202型戦闘機(下右)。同型式の液冷式エンジン三兄弟と言える3機種だ(吉川和篤撮所蔵)。

 三式戦「飛燕」は、第2次世界大戦時の日本軍戦闘機としては珍しい液冷式エンジン「ハ40」型を搭載していました。これは同盟国であったドイツのダイムラー・ベンツ社が開発した液冷式倒立V型のDB601A型エンジン(1050馬力)を川崎航空機がライセンス生産したものです。

 同エンジンはドイツのメッサーシュミットBf-109E型戦闘機にも搭載されたことなどから、三式戦「飛燕」を「和製メッサー」と呼ぶ向きもありましたが、実際はラジエーター位置や主脚など構造は大きく異なっています。なお、空力的に優れた機体設計により最高速度590km/hを記録しており、速度や上昇力に加えて旋回性能まで全ての面でBf-109E型を超える好成績をおさめています。

 しかし、液冷式エンジンは精密な工作技術や冶金技術を要するため、ライセンス生産品とはいえ、日本製のものはしばしば不調を起こしており、これは三式戦の問題として最後まで尾を引きました。それでも同機は、度重なる性能向上が図られており、一型甲(キ61-I甲)の主翼内の7.7mm機関銃2挺を強力な12.7mm機関銃に換装した一型乙(キ61-I乙)や、ドイツから輸入した20mm機関砲(通称マウザー砲)に換えた一型丙(キ61-I丙)、エンジンを「ハ140」型(1400馬力)に強化した二型(キ61-II改)などのバリエーションが開発され、各型合計で3000機以上が生産されました。

 なお、DB601A型エンジンの搭載例としては、第2次世界大戦中盤からイタリアの主力戦闘機となったマッキMC.202型も挙げられます。面白いことに、この時期の日独伊の枢軸国主要3か国で、ほぼ同じ液冷式エンジンを搭載した戦闘機3機種が揃ったと言えるでしょうか。

 こうしたなか、三式戦「飛燕」は太平洋戦争中盤のニューギニアやフィリピン方面で戦い続けたほか、大戦後半には本土防空戦でアメリカのB-29爆撃機を迎え撃ち、一部は1945(昭和20)年に沖縄方面で特別攻撃機としても使用されています。

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