「幻の戦闘機」世界のモノづくりを変える? フランス「ミラージュ4000」採用ゼロでも実利

F-14「トムキャット」&F-15「イーグル」の誕生が契機に

 この発表は1975年6月7日のパリ航空ショーで行われました。ダッソーの最新自信作がアメリカ製戦闘機に完敗したと、おひざ元である母国の首都で公表されたのです。同社やフランスにとって大きなショックを与えたであろうことは容易に想像できます。

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「ミラージュ4000」のベースとなった「ミラージュ2000」戦闘機(画像:アメリカ空軍)。

「ミラージュF1」は計画通り生産が進み、最終的には14か国に導入され740機が採用されるなど、決して失敗作などというようなものではありませんでした。しかし、フランスでは「ミラージュF1」の生産と並行して早々に次期戦闘機の開発計画が始動します。

 それは後塵を拝したF-16を強く意識しており、F-16成功の要因だったフライ・バイ・ワイヤを機体制御に採用するとともに、空力デザインは経験豊富な無尾翼デルタ翼を基本としながらF-16にも採用されたブレンディット・ウイングボディとすることで、機体形状に磨きをかけたものに仕上がっていました。

 こうして生まれたのが「ミラージュ2000」です。ちなみに、同機の「2000」とは2000年代までフランス空軍の主力戦闘機の座に留まることを目指したからだと言われています。

 なお「ミラージュ2000」の開発が決定された1970年代中盤は第1次オイルショックを経験した直後で、アメリカでさえもF-14「トムキャット」やF-15「イーグル」といった大型戦闘機の取得コストや維持費用は大きな負担となっていました。そこでF-16に代表される軽量戦闘機と大型戦闘機を併用することで、費用対効果を高めるいわゆる「ハイロー・ミックス」の考え方が台頭していました。

 ダッソーはこの考え方に着目し、大型戦闘機市場への参入を目論みます。「ミラージュ2000」よりも強力かつ高性能な大型戦闘機として、ダッソーはF-14やF-15に比肩する「ミラージュ4000」を計画したのです。

【写真】パリに保存・展示されている「ミラージュ4000」エンジンとともに見る

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