「幻の戦闘機」世界のモノづくりを変える? フランス「ミラージュ4000」採用ゼロでも実利
「ミラージュ4000」開発が「ラファール」誕生のベースに
「ミラージュ4000」は、「ミラージュ2000」の拡大発展型といえるもので、機体を大型化して、「ミラージュ2000」では1基搭載であったスネクマ製M53ターボファンエンジンを2基へと増やし、推力を大幅に向上させています。加えて機首のレドームも大型の高性能レーダーを収容できるサイズへと拡大、それによりレーダー誘導ミサイルをはじめとする豊富な兵装の携行も可能とする設計でした。
ただ、「ミラージュ2000」ではフランス空軍への採用が約束されていたのに対し、「ミラージュ4000」ではそのような後ろ盾がなかったため、ダッソーが自己資金で開発せざるを得ませんでした。
開発自体は、「ミラージュ2000」という原型があったことから順調に進み、同機に遅れること約1年の1979年3月9日に初飛行しています。なお、初飛行で早くもマッハ1.2を達成して飛行性能の高さを実証しました。
とはいえ、やはり自国空軍が採用しないという点で「ミラージュ4000」戦闘機は海外への売り込みに苦戦。最終的に、どこからもお声がかからないまま姿を消していきました。しかし、ダッソーは「ミラージュ4000」の開発で得られた貴重な経験を無駄にはしませんでした。
カナード付きデルタ翼の飛行データは、その後開発された新戦闘機「ラファール」へと活かされています。加えてに、ダッソーは「ミラージュ2000」や同「4000」などを設計するために高度な三次元CADソフトウェアを開発、その後「CATIA」と命名され商品化されたこのソフトウェアは、世界中にある数多くの製造業種で使われる主要なCADソフトウェアへと昇華。これにより、それを扱う専門の子会社ダッソー・システムが生まれ、2万人もの雇用を創出しています。
こうして見返してみると、「ミラージュ4000」は航空機としての実績こそ残すことはできなかったものの、次世代戦闘機「ラファール」の誕生に貢献し、3次元CADの分野では現在においても世界の製造業に多大な影響を与えていると筆者は確信しています。
なお、ただ1機のみ製作された「ミラージュ4000」は、パリのル・ブールジェ空港にある航空宇宙博物館で、2023年現在も展示されています。
【了】
Writer: 細谷泰正(航空評論家/元AOPA JAPAN理事)
航空評論家、各国の航空行政、航空機研究が専門。日本オーナーパイロット協会(AOPA-JAPAN)元理事
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